わんだふる☆わーるど

11/13 第81話 「Onece upon a time,long long ago T」

 「いいか、聡。あの池にだけは近づいちゃいかんからな」  それが、じいさんの家に遊びに行った時に、じいさんの口から一番多く聞かされた言葉だった。  行ってはいけない理由はいつも教えてくれなかったが。  それに、その池はじいちゃんの家から結構離れていたので、おれも別に行こうと思ったことはなかった。  あの日、あの娘に出会うまでは。  「じいちゃん!遊びにきたぞ!」  季節は夏。  おれは、まだ小学校2,3年だったと思う。  おれたち家族は毎年夏休みになるとじいさんの家に遊びに来ていた。  「おおっ、聡じゃないか。よう来たのう」  両親が車から荷物を降ろしている間、おれは一足早くじいさんに会っていた。  「ほれほれ、そんなとこに突っ立っとらんでこっちへ来んか」  「うん!」  「しかし、今日はお客さんが多いのう」  「お客さん?ぼくたち以外にもだれか来てるの?」  「お〜い、嬢ちゃん。そんな所に隠れとらんで出てきたらどうかのう」  じいさんが背後に向って呼びかけると、恐る恐るといった感じで女の子が扉の影から姿を現した。  白に近い銀色の髪と青い瞳。  それは、まぎれもなく幼い日の絵里。  それがおれと絵里、いや、エルとの初めての出会い。  「食べない?」  「え、食べれるの?」  それが、エルと最初に交わした会話。  「これ聡、嬢ちゃんが怖がってるじゃないか。いかんぞ、女の子には優しくせんと」  「わ、わかってるよ!えと、ぼく氷上聡。別に食べたりなんかしないから」  「ほんとに?」  「うん!それで、君の名前は?」  「……エルシオーネ」  「?釣りしようね?変な名前ー」  「エルシオーネ!!いい名前だもん!」  「わ、そんなに怒鳴らなくてもいいだろー、えるしもーね」  「エルシオーネなの!」  「あーもー、そんなに長い名前呼びづらいよ。エルでいいやエルで」  「それでもいいけど……じゃあ、あなたは聡ね」  「!なんでぼくの名前知ってるの?!」  「なんでって……さっき自分で言ったじゃない」  「ほっほっほ、確かに自分で言うとったのう。さて嬢ちゃん、そろそろこやつの両親が来る頃でな」  「あ、はい。じゃあ、私はこれで帰ります」  「え〜、もう帰るの?もっと遊ぼうよ、エル」  「これこれ聡。女の子を困らせてはいかんと言うとるだろうが」  「だって〜」  「大丈夫だよ、聡。明日も遊びに来るからね」  「本当に?絶対だよ!」  「うん。じゃあ、また明日。おじいさんも、今日は色々とお世話になりました」  「いや、気にすることはないて。女の子は特に大歓迎じゃ。それより、聡のこと………頼んでもいいかの?」  この時のエルは、子供のおれにはとても読み取れない複雑な表情を浮べて、じいさんに一礼して去っていった。  今でも、その意味するところはわからない。  「ところで聡や。今の嬢ちゃん、どう思う?」  「どうって?」  「くぅっ、お前はそれでもわしの孫か?あれだけの北欧系美少女を目の当たりにして何とも思わんかったのか?!」  「うん、キレイだなーっては思うけど。それくらいだよ」  「ダメじゃ。それだけじゃダメなんじゃよ聡。くうっ、わしがあと三十年若ければ……」  「じいちゃん、一体何をするつもりなんだよ……」  この時、おれはまだ知らなかった。  おれとエルが出会ったことによって生まれた歪みのことを。
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11/15 第82話 「Truth/SIDE EARTH U」

 「これが、私と聡さんの出会いです」  「………それはよくわかったんだけど。これ、何?」  そう言って梓が指差した先には、エルが広げた掌の上に浮かび上がった、幼い頃の聡と、聡の祖父の姿があった。  「立体映像……というと語弊があるのだけど。そんな風に思ってもらっていいわ」  梓の疑問に、ケイが答える。  「これは、記録。そして記憶です」  懐かしそうに目を閉じた絵里が静かにその手を閉じると、フッと聡たちの姿も消えた。  「わかりやすくていいじゃないか、柳瀬」  「道夫、あんたは気にしなさすぎ」  「そうだよ、梓ちゃん。絵里ちゃんたちはもともとこっちの人じゃないんだから」  「由美、あんたは順応性高すぎ…」  「いや、柳瀬も十分馴染んでると思うけどな」  「まあ、否定はしないわよ。それにしても、怖いくらいよく出来てるわね。昔の聡の声って、確かにこんな感じだったし」  「当たり前だ。これは、こっちの世界で言うところのビデオを再生してるようなものだからな」  「ビデオ?なんか、聞き慣れた単語で表現されると妙な感じがするわね」  「それはそうと、俺は、もう帰らないとダメそうだ」  そう言って立ち上がるエクス。  「え、天王寺君もう帰るの?」  「ああ。本来俺はこの世界には居てはいけない存在なんでな。封印が解けた今ならなおさらだ。ケイ、後のことは頼んだぞ」  「任せといて」  「エル……いや、もう何も言うまい。お前が決めろ」  「…………はい」  「柳瀬梓、馬場由美、神田道夫。お前らとはもう二度と会うこともないだろうが、学校というものはなかなか楽しかったぞ」  「あんまりそうは見えなかったんだけど……」  「では、さらば!」  そう一声残して、エクスの姿は一瞬にして消えた。  「行っちゃったね」  「どうでもいいんだが、封印とやらが解けてからなんで言葉使いがやたらと偉そうになったんだ?」  「そういえばそうだったね。私は九州弁のほうがなんか好きだったな」  「仕方ないです。父さんは実際偉いのですから」  絵里の言葉に、ケイが補足する。  「ま、こっちの世界でいう所の“お偉いさん”ってやつなのよ」  「じゃあ、一段落ついたことですし、昔話の続きを……」  「ストップ!!」  昔語りを始めようとした絵里を、梓が手を挙げて制した。  「その、昔話を続ける前に聞いておきたいことがあるんだけど、いいかしら?」  「はい。別に構いませんけど」  「サトシの家に来てからなんだか色んなことがあって色んなこと聞かなくちゃいけない気がするんだけど……由美、後は任せ たよ」  「うん、任せられたよ。え〜、ではまず絵里ちゃん。天王寺君、もといエクスさんって本当に絵里ちゃんのお父さんなの?」  「ええ、そうですけど」  「でも、年は私たちとあんまり変わらないように見えるんだけど」  「父さんはああ見えても50歳よ」  ケイのその言葉に、一瞬言葉を失する梓、由美、道夫。  「マジで?」  「はい。“真剣”と書いてマジと読みます」  「エル、この場合は“本気”と書くの。“真剣”の場合はホンキって読むのよ」  「いや、それは別にどうでもいいんだが」  「でも、まあ確かに考えてみれば、そのくらいの年じゃないと、私たちくらいの年の子供はいないわね」  「それじゃあ次の質問」  と、矢継ぎ早に質問を繰り返す由美。  その質問に一つづつ答えていくケイとエル。  内容は、以前聡が質問してきたこととほぼ同じであった。  それに対する答えも、以前と同じ。  ただ、新しい質問も少なからずあった。例えば、  「立体映像のことなだけど、エクスさんはビデオって言ってたよね?やっぱりそっちの世界からこっちを映してるの?」  「まあ、そう思ってもらって構わないわ」  「なんでサトシ映してんのさ」  「私たちの世界では、こちらの世界の観察を多目的に捉えるために、“場所”や“人”などを対象に様々な角度から色々な事 象が記録されることになっています。その、それぞれの対象は無作為に選ばれるのですけれど……」  「たまに恣意的に選ばれることがあるのよね。この氷上君みたいに」  「恣意的……ってなんだ、柳瀬」  「あたいにわかるわけないでしょ!」  「恣意的っていうのは、まあ要するにわざとってことだよ」  「わざとって、なんで?」  「さあ?お偉方の考えは私たちには到底理解不能だから」  「私には、なんとなくわかった気がします。でも、そこにどんな思惑があっても、私は恨んだりしません。こうして、私は聡 さんと出会えたのですから」  その言葉を聞いて、複雑な表情を浮べる梓。  それを見た由美が、最後の質問を投げかけた。  「じゃあ、最後に。二人はなんのためにこっちに来たんですか?」  「それは……私の昔話を最後まで聞けばわかります」
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11/20 第83話 「Onece upon a time,long long ago U」

 その日から、おれとエルは毎日のように、というか毎日遊んだ。  良く晴れた日も、微妙な曇りの日も、梓との約束があった日も。  どちらが決めたというわけでもないが、じいさんの家の近くの公園にある大きな木が、おれたちの待ちあわせ場所になった。  それが何の木だったかは知らなかったが。  多分、今見てもわからないだろう。  エルとどんなことをして遊んだかはあまり覚えていない。  今思うと、遊ぶというよりも、いろんなことをエルと話していたような気がする。  「そういえば、じいちゃんがエルのこと“ほくおーけい”の美少女だって言ってたけど、“ほくおーけい”って何?」  「北欧系?ああ、私の外見のことね。ほら、私みたいな髪や目の色って日本ではあまり見かけないでしょ?」  「うん」  「そういうこと」  「え〜、それじゃわかんないよ!エルのケチ!」  「説明したってどうせ聡にはわからないんだからしょうがないでしょ。じゃあ、日本以外で知ってる国を言ってみて」  「エロマンガ島!」  「………聡、それって国じゃないよ」  「え?でもじいちゃんは“いつかここで暮らしたいのう”っていつも言ってるよ?」  「聡、あんまりおじいさんの言うこと鵜呑みにしちゃダメ」  と、こんな感じでいつもたしなめられてたような気もするが。  背格好はおれと同じくらいなのに、エルは妙に大人びていて、そこにひかれたのかもしれない。  なんせ、その当時おれと仲の良かった女の子というと梓くらいなもので。  梓の性格は昔も今も変わらず“男勝り”という言葉がジャストフィットするわけで。  まあでも、本当のところは、エルがとびきり可愛かったからというのが毎日会ってた理由だったりするところに、じいさんの 血が確実におれにも流れていることを証明している。  そして、おれとエルが出会ってちょうど一週間目。  この日が、運命の日となる。  「ねえ、ちょっと遠くに行ってみない?」  その日は、珍しくエルのほうから誘ってきた。  「いいけど、どこに行くの?」  という俺の問いには答えずに、えへへ、と笑顔を見せるエル。  この笑顔を見せられると、俺はもう何も聞けなくなった。  多分、エルもそのことをわかっていたのだろう。  遠くとは言っても、おれたちはお金を持っていないので、徒歩で行ける場所ということになる。  ちなみに、この頃おれはまだ自転車に乗れなかった。  「ほら、ここよ」  「え、ここって……」  感覚的に、1時間ほど歩いた時、エルが目的地に着いたことを告げた。  目の前を見ると、そこには湖というには狭く、池にしてはなんだか大きな水源がたゆたっていた。  「ね、綺麗でしょ」  「そうだけど……」  「?どうしたの?」  「ぼく、じいちゃんからここには近づくなっていつも言われてたんだ」  「そうなの?私もおじいさんからここのこと聞いたんだけど、別に近づくなとは言われなかったわ」  確かに、そこは普通の池で、切り立った断崖などの一目見て危険だとわかる場所はなかった。  「え?そうなの?」  「ええ。それに、ここは“水鏡”だって聞いてきたの」  「“みかがみ”?」  「そう。この池は不思議と人が手を加えないかぎり、いつも水面が乱れることがなくて鏡みたいになってるんですって」  「それが“みかがみ”なの?」  「少なくとも、こっちではそう呼んでるわ」  「こっち?」  「へへ、聡にもちょっと見せてあげるね」  そう言って、エルは池へと近づいていった。  「あ、まってよ!」  慌てておれはその後を追った。  刹那。  何の前触れもなく、唐突に、本当に唐突にエルが膝から崩れ落ちた。  「エル!」  「な……なんで……まだ……早いよ……」  「どうしたの!エル!しっかり!!」  「そ……いうこと……この場所………」  「どうすればいいの!なにすればいいの!」  「に…げて………さとし」  「え?何て言ったの?!」  「わたし……から……はなれ……て……はやく!」  そう言って、エルはおれを突き放した。  この後のことを、おれは、まだ思い出せずにいる。
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11/21 第84話 「Truth/SIDE EARTH V」

 「え?なんでここで消えるの?!」  突然消えた映像に驚きを隠せない梓。  「公式の記録に残されているのはここまでなんです」  「ここから先の出来事は、特記事項に触れているために削除されたのよ」  エルの言葉を補足するケイ。  「特記事項……つまり、トップシークレットってわけね」  なぜか由美の目が妖しく光る。  「その通りよ。でも、あなたたちには知る権利があるわ。というか知っておいてもらいたいのだけど」  「で、あの後どうなったんだ?映像はなくても早瀬は覚えてるんだろ?当事者だし」  「はい。ここから先は私の記憶なので少し主観的になってしまいますが、よろしいですか?」  「別に構わないわよ。思い出話っていうのは普通そういうもんだしさ」  「今までのが特殊すぎただけだけだよ」  「ま、今更何が出てきても驚かないけどな」  「いや、道夫。あんたが驚いてるとこなんて見たことないんだけど」  「そうか?まあ、あんまり顔に出ないほうだからな」  「あの、そろそろよろしいでしょうか?」  少しの間ほっておかれたエルが控え目にたずねる。  「あ、すまんすまん。で、あの後どうなったんだ?」  「はい。あの映像にもあった通り、私はとても苦しみました。それは、まだ時期的に早いと思っていた“成長”に伴う苦痛で した」  「“成長”?」  「さっき話した通り、私たちには“幼年期”“成年期”“盛衰期”という三つの成長過程が存在します。そして、“幼年期” と“成年期”の決定的な違い……」  「翼、ね」  「そうです。その苦痛のほとんどは、翼の誕生にともなうものだということを、私は知っていました。けれど、その痛みは聞 いていたよりもずっと激しく、耐えられないほどのものだったのです」  「聞いていた?」  「私はエルより少し先に“成長”してたから、その時のことをエルに話してたのよ。でも、そのことが逆に仇になったみたい ね」  「どういうこと?」  「私が“成長”した時は、そんなに痛みもなかったし、なんだかあっさりしたものだったのよ。まあ、それは事前に自分で “成長”するのに適した場所を選んでいたからなのだけど」  「成長するのに場所が関係あるのか?」  「それが関係あるのよ。私たちが成長すると、急激に身体の骨格から何から変化するのよ?そのためにはものすごいエネルギ ーが必要になるわけ。それを補助するためにある力を自分の身体に吸収する必要が絶対的にあるのよ。その力をこっちの言葉で 説明することはできないのだけど、仮に“エーテル”としておくわね」  「ふ〜ん、だからその“エーテル”が多い場所で“成長”したほうが都合がいいんだ」  「その通り」  「じゃあ、なんで絵里ちゃんはそうしなかったの?ケイさんが事前に準備してたってことは“成長”の時期はだいたい自分で わかるんでしょ?」  「はい。だいたいの時期は私にもわかっていました。だから、その前に一度こっちに来ておこうと思って……」  「聞かれる前に付け足しておくと、“エーテル”の絶対値が低いこの世界に来るためには、まだあまり“エーテル”の影響を 受けていない“幼年期”にこっちの世界に来て少しでも慣れておいたほうがいいの。じゃないと、“成年期”にいきなりこっち に来ても何の能力も使えなくなるから。まあ、別に普通にこっちの世界に溶け込んで暮らすだけなら全然問題ないんだけどね」  「じゃあ別に“幼年期”にこだわらなくてもいいじゃねえか」  「そんなの面白くないじゃない。空も飛べないし」  さも当然とばかりに言い放つケイ。  「で、そんなケイさんの影響で絵里ちゃんも“幼年期”にこっちに来ることになって、そこで聡君に出会ったというわけね」  「はい。本当は、2・3日だけのつもりだったんですけど、聡さんが毎日「また明日ね〜」と言ってくれたので、つい」  「一週間も居たわけだ。ちゅうかサトシ、あん時の約束すっぽかしたのはあんたのせいだったのね」  「ごめんなさい」  「あ、絵里ちゃんが謝ることないわよ。後でサトシにハイキック食らわせるだけだから」  「んで、何でその“エーテル”とやらが少ないこっちで“成長”することになったんだ?」  「それは………あの場所と聡さん、そして私。この、普通ではあり得ない符号の一致が原因だったのです」
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11/23 第85話 「Truth/SIDE EARTH W」

 「有り得ない符号の一致?」  「ええ、これは後から聞いた話なのですが、本来なら私は別の場所へと転送されるはずだったそうです」  「それってつまり……」  「そう、誰かが意図的にエルをこの場所へと導いたことになるわ」  「だから、私と聡さんが出会ったのは運命でも偶然でもなく、仕組まれたことだったのです。多分、私の“成長”を失敗させ ようとしたのでしょう」  「失敗って……失敗なんかするのか?」  「ええ、ごく稀にではあるけれどね。でも、盛衰期への移行とは違って、命を失うということはないわ。寿命は普通の半分く らいの短さになるのだけれど」  「じゃあ失敗したら、ずっと小さいままってわけ?」  「そうよ。だからもちろん翼もないし、能力も使えない。それに、子供も産めないのよ。要するにこっちの世界の子供と同じ ってわけ」  「ふ〜ん、って、ちょっと待って。絵里ちゃんたちの世界でも、子供作る時に、その、なんていうか……」  「企業秘密です」  「いや、エル。別に秘密にすることじゃないでしょ。まあ、大体その想像は正しいわ」  それを聞いて、顔を赤らめる梓と由美。  「でも、結局早瀬は“成長”したんだよな?」  それでも動じない道夫が、エルに問う。  「はい。結果的に“成長”することは出来ました。ただ、その代償が余りにも大きく、そのために私は自らの記憶を今まで封 じていたのです」  「その代償って……」  梓の質問には答えずに、エルは静かに語り始めた。  「“エーテル”の少ないこちらの世界では、“成長”を始めるのに必要な初期エネルギーさえ足りないので、普通なら“成長” が始まるということはありません。が、この世界にも稀に“エーテル”が溢れる場所が現れます」  「それが、あの池なのね」  「いいえ、違います。“エーテル”の漲る場所……それは、聡さん自身だったのです」  「え?」  「うそ?」  「なんだって?」  「どういうこと?!」  「って、なんでケイさんまで驚いてるのよ?」  「いや、これは初耳だわ。私もてっきりあの場所が原因かと……」  「そうじゃないの、姉さん。もちろん、あの池も普通の場ではないのだけど、“エーテル”自体は微々たる物なのよ。あの “水鏡の池”は単なる“エーテル”の増幅器。そして、私の持つ“エーテル”が増幅されて聡さんに影響を与え、今までその体 内に貯められていた“エーテル”の蓋を開いてしまったの。そして、聡さんから溢れ出た“エーテル”が池で増幅され、そして…」  「“幼年期”の身体では許容できない量になったから、慌てて“成長”を開始したってわけね。でも、変ね。そういった強制 的な“成長”はほとんどの場合失敗するんだけど」  「おい、あんたさっきはほとんど失敗しないって言ってなかったか?」  「それは、自然な“成長”の場合よ。人為的に“成長”を早めたりしようとしたら大抵失敗するの」  「焦りは禁物ってわけね」  「はい。だからこそ“エーテル”の少ないこの世界でわざと成長させて失敗させるために、誰かが私と聡さんを会わせたんで しょう」  「その誰かって?」  「それはわからないわ。もう随分昔の話だし。それに、エルの成長を失敗させてメリットある人なんかいないと思うけど」  「ふ〜ん、で、絵里ちゃんはどうして“成長”できたの?」  「はい。それは、聡さんの“エーテル”の所持量が予想よりも遥かに多かったことと、聡さんが“エーテル”の放出を止めな かったからだと思います」  「自然界の“エーテル”とは違って、人の持つ“エーテル”というのは本人の意思で制御できるのよ。だから私たちは“エー テル”の力を借りて色んな能力を使えるの」  「でも、サトシは自分がそんなもの持ってるなんて知らなかったんじゃない?それじゃ制御する方法もわかんないじゃん」  「いいえ、“エーテル”の蓋が開いた時、そこに確かに聡さんの意思を感じました。私が、“成長”が始まるのを止めようと して聡さんを突き放した時、聡さんは自分の意思で“エーテル”を私に渡してくれました。まるで、無理に“成長”を止めると “成長”そのものが失敗してしまうことを知っているかのように。そして、私が成長を終えると、聡さんは微笑んでこう言いま した。『がまんしちゃだめだよ。苦しい時は言ってね。ぼくたち友達じゃないか』って。そして、“エーテル”を全て私に与え た聡さんは意識を失ったのです」  「まあ、今まで持っていたものを全部なくしたのだから無理もないわね」  「私は慌てました。このまま聡さんが目を覚まさなかったら……そう考えると怖くて、まだ“成長”したばかりで何の能力も 使えなかった私は唯一教わっていた能力を使ったのです」  「こっちの世界に来る前に必ず教わる能力…“帰還”ね」  「そう。私は、聡さんを連れて私たちの世界、アルファゾーンへと戻り、自分の家へと急ぎました」  「あの時はびっくりしたわよ。あんたは成長してるわ、こっちの世界の男の子連れてくるわでもう何がなんだか」  「私たちの世界に、こちら側の住人を連れてくることは固く禁じられているのですが、それさえも忘れるほどに、あの時の私 は必死でした。ただ、聡さんを助けたい。それだけを願っていたのです」  「で、結局サトシはどうなったの?あ、いや、まあ助かったのはわかりきってるけどさ」  ここで、エルの目に決意の光がともる。  「いえ、まだ完全に助かったとは言えないのです」  「え?でも現にサトシは今まで普通に暮らしてきたのよ?」  「はい。今まで通り普通に暮らすぶんには“エーテル”がなくても何の支障もありませんでした。ですが、封印が解かれ、全 ての記憶が蘇ると、そういうわけにはいかないのです」  「それってどういうこと?」  「結果的に、聡さんは私の家でしばらく休ませて、すぐにこちら側に帰すことになりました。これは、父さんがあまり私たち の世界に聡さんを置いておくと良い影響はないだろうと判断したからなのですが、帰る際に聡さんにある封印を施したのです」  「封印?ああ、そういや天王寺が「最後の封ば解く!」とかなんとか言ってたな」  「その封印とは、ずばり“エーテル”の蓋。だから、こちら側の世界に戻った聡さんに再び“エーテル”が溜まることはなか ったのです」  「ということは、その封印を解いた今、蓋は開いてるってこと?」  「はい。だから、あの時と同じ状態となった聡さんはこうして意識を失っているのです。そして、私がこの世界にやってきた 目的というのは、私が受け取った聡さんの“エーテル”を聡さんにお返しするためなのです」  「そうだったんだ。でも、なんで最初っからそれ聡君に言わなかったの?」  「プロテクトのせいよ。本来、“エーテル”のことはこの世界の人間には知られてはいけないことなの。私たちの存在自体は 別に知られても構いやしないんだけどね。能力使わなきゃまるっきり普通の人だし」  「聡さんの“エーテル”に関する記憶は、こちら側に帰す前に全て抹消されました。ただ、エーテルに関する記憶だけを抹消 することは出来なかったので、私と出会ったことを“なかった”ことにすることによってその後の記憶を抹消したのです」  「なるほどね。でも、絵里ちゃんのほうは覚えてたんでしょ?」  「覚えていたというよりも、思い出したというのが正しいです。こちら側を覗いて見ると、たまたま聡さんが映っていて、あ あ、この人が私の恩人なんだと思い出したのです」  「まあ、エルの場合は自分でしまいこんでただけだから、ちょっとしたきっかけで思い出せたわけよ」  「それで、姉さんに相談して聡さんと接触することにしたのですが」  「これまた妙なプロテクトが仕掛けてあってね。エルと聡君が接触すると、エルと聡君の意識が同調するようになってたわけよ」  「?どういうこと?」  「つまり、私にも聡さんの封印の影響が出てくるということです。ですから、私も最初の頃は“エーテル”の事を忘れていた のです」  「一体何の嫌がらせだったのかしらねえ、まったく。おかげでこんなに苦労しちゃったじゃないのよ」  「でも、もうすぐ終わります。私が聡さんに“エーテル”を返せば」  「ねえ、今ちゃっちゃと返しちゃってもいいんじゃない?というか、返さないと意識戻らないんじゃないの?」  「いえ、意識自体は“エーテル”がなくてもちゃんと戻ります。それに、“エーテル”は受け手の意思がないと受け渡しでき ないので」  「へー、そうなんだ」  「その前に、聡さんには選んでもらわないといけないので」  「何を?」  「再び“エーテル”に蓋をしてこちら側に残るか、私の“エーテル”を受け取って私たちの世界に来るか、をです」  「な、な、な、なんですとぉ?!!」
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11/25 第86話 「Truth/SIDE Timecorridor」

 気付くと、おれは暗闇の中にいた。  「今のは……夢か?いや、あれは記憶……そう、記憶だ」  思い出した。  おれとエルはあの日、あの場所で出会っていた。  幼い頃の記憶。  今では鮮明に思い出せる。  今まで思い出せなかったことが不思議なくらいに。  「あ、やっと気付いたか」  ふと、どこからともなく声が聞こえてきた。  「誰だ?」  「なんや、久々に会ったてえのに、随分な挨拶じゃな〜」  その、どこの言葉か全くわからない日本語に、かすかに聞き覚えがあった。  「あんたは確か……封印の獣ケルベロス?」  「むう、まだ完全には思い出せてないのけ。それは微妙に違うでぇ」  「じゃあユエの方か?」  「……あんさん、ベタなボケは身体に毒でっせ」  「いや、そんなことはないと思うんだが」  「そやな。ならさっさっと思い出してんしゃい」  「む、今ピンときた。お前は確か……ルアフ」  「正解正解〜」  「ということはここは……」  「そう。時空回廊や」  時空回廊。  その昔、エルにおれの中にあった“何か”を全て渡した時にたどり着いた場所。  その場所に、おれは再び居るということらしい。  「なんで?」  「いや、なんでってあんさん。ここに来た理由知らないんでっか?」  「全く見当もつかん」  「威張って言うことじゃあないでしょが。ほんだら、教えてあげまっしょい」  なんだか嬉しそうに聞こえる。  ちなみに、おれは暗闇に居るのでルアフの姿は見えない。  というか、昔も声だけだったのだが。  「あんさんがここに来た理由はただ一つ。それは“エーテル”の受け渡しのためなんどす〜」  「“エーテル”?なんだそれは?」  「まあ難しいことは省いて説明すると、その昔あんさんの体にあったのが“エーテル”なんですわ。で、エルの嬢ちゃんにそ れを全部渡したせいで今現在のあんさんの“エーテル”所持量は0。だけんども、あんさんには生まれつき“エーテル”を自然 に吸収する能力が備わっていたんですわ。まあ、その能力は昔ここに来た時に封じさせてもらっといたんですがね。で、その時 に“エーテル”の入り口だけじゃなくて出口も塞いだんで、あんさんの“エーテル”量はいつでも0のままとなったおかげで安 定して普通に元の世界で暮らせるようになったってわけや。まあ、いわばこの場所はそういったように、世界と世界の安定をは かる場所っちゅうわけや。って、これって昔にもそっくり同じように説明したはずだけんども?」  「全くもって覚えてねぇ。というかあんた話長いな」  「ほっといてくんろ。まあ、あん時はあんさんも幼かったからのう」  「で、要するとだ。おれが元の世界で再び暮らせるようになるためには、その“エーテル”の受け渡しが必要だってことか?」  「ほい、その通りなんですなあ。今、あんさんは“エーテル”の出口だけが開いてる状態なんですよ。まあ、今の“エーテル” 量は0だからこれ以上減るって心配はないんだけどさ。他の“エーテル”の影響を受けやすくなるから出来れば開けっぱなしに はしないほうがいいのよね」  「じゃあ、あんたがまた出口塞げば問題ないじゃねぇか」  「それがねぇ。エルの嬢ちゃんから言われてるのよ。『聡には借りがある。返すまで帰さないで』っとな」  「はぁ?なんじゃそりゃ?」  「というわけで、わしのここでの仕事はあんさんの“エーテル”の入り口を開くことだけ。後はあっちで決めてくんなはれ」  「決める?決めるって何をだよ」  「細かいことは気にしなさんな。じゃあいきまっせー。そいやっ!」  その、どことなく拍子抜けする合図と共に、おれの前に光の渦が現れた。  おれは、何かに引き寄せられるかのようにその渦へと吸いこまれてゆき、やがて光に溶けた。
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11/28 第87話 「Reverse」

 「ちょ、ちょっと!それってどういうことよ!!」  おれが意識を覚醒させるのと、そう梓が叫ぶのはほぼ同時だった。  「ぬお?!いきなり大声だすなよな」  「サトシ!意識が戻ったの?」  「ああ、なんとかな」  「聡さん、お久しぶりです」  「おう」  実際におれが意識を失っていた時間はほんのわずかだと思うが、エルの言うように随分と久しぶりに思えた。  「と、まあそれはいいんだが………なんでおれはエルに膝枕されてるのかな?」  「いけませんでしたか?」  「いやまあ、そんなことはないぞ。というかむしろ嬉しい。でもな」  「デレデレするな!」  「ぎゃば!」  遠い位置から梓の膝が飛んできた。  「………とまあ、こんな結果になるわけだ」  「はあ」  「ねえ、聡君。今、絵里ちゃんのこと“エル”って言わなかった?」  「ん?そうだっけか?」  「ああ、確かに言った」  「どうやら記憶は完全に取り戻せたようね、聡君」  「う〜ん、その変なんか微妙なんだよなー。エルと池に行ったあたりのことまでは思い出せたんだけど、そっから先がなんか もやもやってしてるんだ」  「そんな!じゃあ結婚の約束のことも覚えてないんですか!」  「結婚?!」  「こらこらこらこら、そこの絵里さん!あんたの昔話にそんな場面はなかったでしょうが!」  「さすが私の妹。見事な嘘っぷりね」  「威張るとこじゃないだろ」  うーむ、おれが意識を失ってからなんか色々あったみたいだな。  「そういえば、エルに一つ質問がある」  「はい、何でしょう?」  「なんで昔と全然性格違うんだ?あの頃のエルは確実に天然ではなかったはずだ」  「それは、あなたのせいよ聡君」  なぜかケイが答える。  「おれのせい?」  「正確には、あなたの“エーテル”のせいなの。“エーテル”自体は普遍的なものなんだけど、人がそれを持つとその人の色 みたいなものが“エーテル”に付加されるのよ。で、今エルはあなたの“エーテル”を全部抱え込んでる状態だから、その影響 を受けてるってわけ」  「……つまりなんだ、おれのその“エーテル”に天然要素が含まれてるということか?」  「その通りよ」  なんと。  エルが天然だったのは俺のせいだったのか。  いや、それよりもだ。  昔の俺は天然だったのか!  「……なんか、すごい敗北感を感じる」  「あー、そういや今思うと昔のサトシって結構天然だった」  証人もしっかりいるし。  「でもよ、ルアフは“エーテル”ってのは増えたり減ったりするって言ってたぞ。もう何年も前に渡したおれの“エーテル” なんかとっくに使われてるんじゃないのか?」  「そんなこと、するわけないじゃないですか!」  激しい口調で、エルが抗議する。  「エ、エル?」  「これは、私と聡さんを繋ぐ絆。大切に心の奥底にしまっていました」  「奥深くすぎて今まで気付かなかったというのは秘密よ」  「いや、あんた言ってるし」  「それでも、こうしてまた聡さんと出会えたのは、やはりこの“エーテル”のおかげです。ここで、一つ聡さんに提案があり ます」  「何だ?」  「私と一緒に暮らしませんか?」  「は?いや、今も一緒に暮らしてるようなもんだろ?」  「いえ、そうではなく。私たちの世界で、私と一緒に暮らしませんか?」  「…………………………………はい?」  「それは、肯定の返事と受け取ります」  「ちょっと待ちなさい、今のは疑問系だったでしょ!」  なんだ、一体何の話だ?  おれにはさっぱり話の流れがつかめんぞ。  とりあえず、一番冷静にこの場のことを説明できるであろう道夫に目で合図を送る。  「ん?トイレか?」  だめだ。  アイツはマイペースすぎる。  ここはやはり由美しかいないか。  「由美、いったいどうなってんだ?」  「ちょーっとね。大変なことになっちゃったみたい」  こうしておれは、由美からおれが意識を失っている間の出来事をダイジェストで教えてもらった。
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12/1 第88話 「Entrance」

 「なるほど、ねえ」  由美の話を聞き終えたおれは、ふうと一つため息をついた。  「あんまり驚かないんだね。道夫くんじゃあるまいし」  ちょっと不満そうな顔で由美が言う。  「すまんな、気の効いたリアクションできなくて。でも、もう驚き疲れちまったんだよ」  「まあ確かに、いちいち驚いてたら体がもたなくなるからな」  「道夫、それあんたに言われると非常にムカツク台詞なんだけど」  「気にするな」  とまあ、梓と道夫はこんな普段通りこんな会話をしているわけだが。  「で、どうですか?私と来てくれますか?」  何の前触れもなくエルが聞いてきた。  「その前に一つエルに問う。それは本当に真実か?」  そう。  おれは今までさんざん騙されてきた。ケイに。  まあエルが嘘をついてるとは思えないが、背後にケイがいないとも限らないので用心して聞いてみたのだ。  「もちろんです!姉さんじゃあるまいし、こんな重大な事実を嘘にするわけないじゃないですか!」  「……エル、あなたものすごくさらっと酷いこと言うわね」  どうやら、この件に関してケイは完全にノータッチみたいだ。  「そうか。まあ、おれ自身色んな情報が錯綜していて、いまいちまだピンときてないんだ。そもそも、エーテルを返してもら うのと、アルファゾーンに行くのとにどんな関係があるんだ?」  「エーテルがあるとアルファゾーンで暮らす時に便利だからです。以上」  へ。  「いや、そういうことじゃなくてだな」  「それ以上の意味も必要もありません。以上」  な、なんかエルのやつキャラ変わってないか?  「ケイ、どういうことだ?」  これ以上エルから情報を引き出すことは不可能と判断し、ケイに話を振る。  「つまり、エルはどうしてもあなたをこっち側に連れてきたいってことよ」  「というか、こっちの人間がそっちに行っても大丈夫なのか?」  「まあ来るだけなら全然問題ないんだけど、こっちに戻ってこれなくなるの。昔のあなたは気を失ってたし、特例としてこっ ちの世界に戻してもらえたけど。本当は一度あっちへ行ったら二度とここへは戻ってこれないのよ」  「それって、なんかおかしくないか?」  道夫が横から割って入ってくる。  「早瀬たちは自由に行き来できるんだろ?なんで俺たちだけ一方通行なんだよ」  「それは、私たちはこの世界を知っていて、聡さんたちが私たちの世界を知らないからです」  「……知識の差、情報量の違い、それによる相互の不干渉というわけね……」  由美が何やら難しそうな言葉を一人呟いて納得しているが、おれにはさっぱりだ。  「つまりなんだ、エルはおれに一生アルファゾーンで暮らせと言いたいのか?」  「その通りです」  にっこりと微笑むエル。  そのどこにも悪意は感じられないが、それだけに余計性質が悪い。  「………そんなこと、出来るわけないだろ」  小さな声で告げる。  「聡さん?今、何と……」  「出来ないって言ったんだ!いきなり知らない世界に来いだって?おれはここで生まれて、ここで育って、ここで暮らしてき たんだ!それを捨てろと言われて、はいそうですかと素直に頷けるもんか!エル、お前は何もわかってない!」  自分でもこんな声が出せるのかと驚くほどの大声でおれは怒鳴っていた。  そう、行けるはずなどない。  確かにアルファゾーンという場所に興味もあるし、行ってみたいとも思う。  だが、それはここに帰ってこれることを前提とした話だ。  よく漫画で別の世界に迷いこんだ主人公が自分たちの世界へと戻るための方法を探すというのがある。  結末は戻ったり戻らなかったり様々だが、共通して言えるのは、自分の意思で異世界へと潜りこむ主人公はまずいないという ことだ。  何者かに召喚されたり、偶然妙な機械が作動したりするなど、そこに主人公の意思は存在しない。  理由は、今のおれの状況を見ればわかる通り、自分の意思で異世界になど行けるはずがないからだ。  「………やっぱり、そうですか」  だが、おれの剣幕にもエルは少しも驚いた様子をみせなかった。  まるで、おれが拒否することを知っていたかのように。
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12/2 第89話 「Declare」

 「そうです、よね。聡さんはこっちの世界の人ですし、私たちの世界に来れるはずなんて、ない」  エルの瞳に悲しみが浮かぶ。  悲しみはやがて、涙の粒となってエルの頬を伝い落ちた。  「わかっていたのに……なのに……なんで私は聡さんと一緒にいたいんでしょう?」  泣き崩れながら、それでも必死に笑顔を作ろうとして問いかけてくるエル。  その姿があまりに痛々しく、おれは、エルの顔を直視することができずに視線を床に落とした。  「なあ早瀬。そんなに聡と一緒に居たいんなら、お前がこっちに残ればいいじゃねえか」  「それが出来れば苦労はしないわよ」  道夫の提案を、ケイがため息で否定する。  「エルはね、昔聡くんをアルファゾーンに連れてきたことで罰をうけているのよ。エルがアルファゾーン以外の場所に滞在で きるのは、過去その場所で過ごした時間だけっていう罰をね」  「その時間を過ぎてもここに居た場合はどうなるの?」  「……強制的に連れ戻されるわ。そして、エルはあなたたちの事を忘れ、あなたたちもエルのことを忘れてしまう、いいえ、 記憶を封じられるの」  「つまり、早瀬絵里、エルシオーネ=ワイアールという存在自体が始めから“なかった”ことにされるのか」  「じゃあ、絵里ちゃんが自分の意思で元の世界に戻った場合は?それでもやっぱり忘れちゃうの?」  「いえ、その場合はエルもあなたたちもはっきりと覚えてるわ。あなたたちが望むなら、記憶を封じることもできるけど」  「誰が、そんなこと望むかよ」  ぽつり、と呟く。  「サトシ?」  俯いていた顔をあげ、まっすぐエルを見つめる。  「確かにアルファゾーンに行くことはできない。けど、エルが消えてもいいと思うわけじゃない。そうさ、おれだってエルと 一緒にいたいんだよ!久々に会って、両方記憶を封じられてて、やっと思い出せたと思ったらまた忘れてもいい?そんなこと出 来るかよ!」  「聡さん…」  「そうよね。サトシの言う通り。私たちも絵里ちゃんと会えてよかったもんね」  「ああ、めったにない体験だ。忘れるなんて勿体なさすぎる」  「というわけで、満場一致で記憶の消去には反対でーす。あ、でも滞在期間過ぎたら強制的に封印されるんだよね……ケイさ ん、絵里ちゃんに残されてる時間はどれくらい?」  「ケイ、あんたが最初に言ってたあれは……おれとエルが過ごした時間だったわけか……」  「そうよ。エルの滞在期間は一週間。タイムリミットは今度の土曜日の午後4時ジャスト」  「短い……わね」  「今日が水曜日でしょ、木、金、土。土曜は学校休みだから一緒に学校行けるの明日と明後日だけだね」  「ここに集まった本来の目的は果たせたのに、まだまだ問題は山積みだな」  そういえばそうだ。  道夫たちに今日集まってもらったのは、エルの記憶を取り戻すためだったはずだ。  何のために?  それは、エルにこの世界に残るか、向こうへ帰るか選んでもらうために。  だが、今はエルにこの世界に止まる選択肢は存在しない。  存在しないから、エルはおれを向こうへと誘ったのだろう。  じゃあ、もしエルがここに残ることが出来るとすれば?それでもエルは向こうへ帰ろうとするだろうか?  「エル、お前はこの世界に残りたいと思うか?」  「私は……聡さんと一緒ならどこでも構いません」  ぐ、なんか無性に恥ずかしい答えを返されてしまった。  だが、今は恥ずかしがっている場合ではない。  「決めた。おれはエルがこの世界で暮らせる方法を探す!」  「おー、言い切ったねぇ」  「じいさんの名にかけて!!」
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12/5 第90話 「Kiss」

 「まあそれはいいとして、実際何をやればいいんだろ?」  おれの魂の決め台詞をさらっと無視する由美。  なんか悲しい。  「とりあえず、向こうとこっちの大きな違いってのはその“エーテル”ってやつなんだろ?その辺に突破口があるんじゃねー かな」  「む、道夫にしては的を射た意見っぽいわね」  「まあ確かにそうだけど……正直、私はエルがここに残ることには反対ね」  ケイが、そんなことを言う。  「マジで?」  「ええ。なんだかんだ言ってもエルは私の妹よ。居なくなるのはやっぱり寂しいわ」  「んなもん、今までみたいにちょくちょくこっちに来ればいいじゃねえか」  「それは出来ないと思うわ。仮にエルがこっちの世界に永住することになったとしたら、今度は私たちアルファゾーン側の人 間からエルの記憶が消えると思うの」  「なんですと?!」  「それが、私たちの世界のシステムだからね」  むう。  なんだかわからないが、向こうの世界の大人の事情というやつだろうか。  「と、いうことはだ。今のこの状態が一番ベストってことか?」  道夫のその意見に、一瞬場が静まる。  というわけで道夫のいう「今のこの状態」を少し整理してみよう。  まず、エルは記憶を取り戻している。能力も普通に使える。  そして俺もエルのことを思い出した。  梓・道夫・由美の3人もほとんどの事情を把握している。  ケイはどうやらあっちとこっちを自由に行き来できるようだ。  それに、これは関係ないかもしれんが、エクスもおれたちのことを把握している。  「……なるほど。ここで終わればハッピーエンドってわけか」  「でも、現実はそんなに甘くないのよね」  そう、梓の言う通り。  おれたちの物語はまだ終わらない。  「この状態が続くのが土曜日の午後4時までなんだよね。それから先はどうなるか予想もできないけど」  「最悪のシナリオだけは避けたいな」  「最悪のシナリオ?」  おれが考え得る最悪のシナリオ。  それはエルがおれたちの事を忘れ、おれたちもエルの事を忘れ、取り戻した過去の記憶を再び失い、エルが絵里として過ごし た日々を空白が埋め、その空虚感に追われながら一生を過ごすことになり、アルファゾーンでもエルが何らかの罰を受けて苦し むというものだ。  「むぅ、サトシがなんか小難しいこと言ってる」  「ふふ、たまには雄弁になるのさ」  「ところで、さっきから早瀬の気配がしないのは気のせいか?」  む。  そういえばそうだ。  ってか、エルはずっと目の前にいるのだが。  「おーい、エル。そんなに俺の話はつまらなかったか?」  しかし、返事はない。  「寝てるみたいね」  「でも目開いてるぞ?」  「よくあることよ」  よくあるのかよ………  「そういえば、もうすぐ日付変わっちゃうね」  「お、もうそんな時間だったか。んじゃ俺たちはそろそろ帰るとするわ」  「ああ、遅くまですまなかったな」  「いいっていいって。それより、明日からまた大変だね」  「ここからが正念場ってとこだな」  「というわけでサトシ、寝てる絵里ちゃん襲うなよ」  「するか!早く帰れ!」  という風に三人に別れを告げる。  「じゃあ私もそろそろ戻るわ」  「ああ。なんか、その……」  「気にしなくていいわよ。私も、もう傍観者じゃいられないから。あ、それから……」  と、そこで言葉を区切るとケイは俺の耳元で小声で囁いた。  「エル、襲っても構わないから」  「襲わんっちゅうに!!」  はは、と軽く笑いながらケイはアルファゾーンへと戻っていった。  「ったく、人をからかうんじゃないっての」  「襲わないの?」  「ぬお?!」  いきなりエルの声がすぐ近くで聞こえてきたので振り向くと、すぐそばにエルの顔があったので思わず後ずさってしまった。  「エル、起きてたのか?」  「うん、今さっき起きたとこ」  おや?  「お前、口調が……」  「あれ?あ、ほんとだ。昔っぽくなったね」  「って自分で言うな」  「へへ」  むう。  なんというか。  不覚にも郷愁に似た感覚を覚えてしまったぞ。  「多分、あれだよ。今は聡の“エーテル”の影響力が弱くなってるんだと思う」  「ふ〜ん」  と言われても俺にはさっぱり意味不明だが。  「まあ何でもいいからそろそろ寝るか。もう夜も遅いしな」  「待って。その前に一つだけ」  「ん?なんだ?」  「ちょこっとの間、目を瞑っててくれない?」  「?まあいいけど」  エルに言われた通り、おれは瞳を閉じた。  「で、一体何する……ぐふっ」  おれの言葉は、唇をふさぐ遮蔽物によってさえぎられた。  というかこれは………エルの唇?!  てこたぁなんだ、おれは、今まさに、エルとキスをしているというのか??!!  「ごちそうさま」  「っておい!いきなりなんなんだ?」  唇が離れて、おれはドギマギしつつも目を開けてエルに聞いてみた。  「あれ?姉さんに聞いたんじゃなかったっけ?情報の受け渡しには口付けが最適なのよ」  「いや、そういうことじゃなくてだな」  「じゃあ私はもう寝るね。それとも一緒に寝る?」  「ば、バカ言うな!」  「じゃあおやすみー」  むう、なんか軽くあしらわれてしまった。  性格まで昔に戻ってしまったようである。  「もうわけわからん。俺も寝る………と、そういやまだ風呂入ってなかったな。シャワーだけでも浴びとくか」  というわけで風呂場に行ったものの。  「……先客ですか」  どうやらエルも風呂に入ってから寝るようである。  なんだかお約束のごとく「一緒に入る?」とか聞かれそうなのでこそこそと退散することにする。  自分の部屋で、ぼふとベッドの上に腰を落とす。  「いったい、何だったんだ、さっきのは」  そっと自分の唇に触れてみる。  いまだに、エルの唇の柔らかな感触が名残を惜しむように残されている。  でも、何故目を閉じていたのに、それがエルの唇だとすぐに確信したのだろう。  それに、なんだか懐かしい感触だった……  「聡、風呂開いたよ」  「!こら、いきなりドアを開けるな!そしてバスタオル一枚でうろつくな!」  「本当は嬉しいくせに」  くす、と笑いながらドアを閉めるエル。  なんかしらんが、ものすごい敗北感がある。  「まあいいや、とりあえず風呂入ってこよう……」  で、風呂場へ行くと。  「……そういえばそうだった」  もの凄い湯気。  相変わらずの熱湯ぶりだ。  まあ今日はシャワーだけにしとくので湯船のお湯はあまり関係ないのだが。  というわけで、さっとシャワーを浴びて自分の部屋に戻り、さっさとベッドに潜りこんで寝ることにした。  考えることは色々あるのだが、今はあえて考えないことにする。  こうして、様々な謎が解決したような新たに浮上したような水曜日は終わりを告げたのである。
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