───視点『新沢靖臣』───

 俺たちは今、海に来ている。  海というよりは、最早海中と言ったほうがいい場所だろう。  と言っても別に素潜りをしているわけではない。  素振りは出来そうな場所だが。  「でも素振りは禁止だぞ、カナ坊」  「そんなことしないんじゃないカナ、しないんじゃないカナ」  「二回言うな!」  律儀に振り向いて反応を返すこのちんまい女の子は楠木若菜。通称カナ坊(命名:俺)。  俺は今、カナ坊と二人で最近出来た海洋テーマパーク『LeMU』のエレベーターの中に居る。  女の子と二人で居るからといってデートというわけではない。  第一、ついさっきまでは他の友人達も俺の周りに居たはずなのだが。  「ところでカナ坊、どうして俺たちは二人でエレベーターに乗ってるんだ?」  そう、俺たちは今たまご型のエレベーターの中で二人きりになっていた。  密室に二人きりということで、俺は妙な感覚にとらわれていた。  まるで、小学生を誘拐しているような気分だ。  「それは靖臣くんが佐久間さんからダッシュで逃げたからだよ」  そんな俺の視線に気づいたのか、微妙に俺との距離をとりつつカナ坊が答える。  そういえば。  たまたま遊びに来ていた佐久間晴姫、通称はるぴー(命名:俺)に会ったことは覚えている。  他の女子水泳部員2名、小泉鞠音と野々宮美影も一緒だった。  挨拶代わりに「今日も相変わらずツルペタだな」と胸を押したところ、物凄い形相で「超絶コロス!」と迫ってきたのでダッシュ で逃げたのだった。  「それはわかったが、なんでカナ坊が居るんだ?」  「靖臣くんが、『お前の娘は預かった』って無理矢理連れてきたんじゃないカナ、連れてきたんじゃないカナ」  しまった、本当に誘拐していたのか。  しかし、その人質作戦が功を奏したのかどうかはしらんが、どうやら無事にはるぴーを撒くことには成功したようだ。  「で、このエレベーターは下に向かってるのか?」  俺たちがはるぴーと会ったのは確かツヴァイトシュトックとかいう地下、というか海中の2層目。  まあ分かりやすく言うと地下2階か。  さらに具体的に分かりやすく言うと、カナ坊の家の核シェルターくらいの深さの場所だ。  例えが具体的すぎて逆にわかりにくくなった気もするが。  そんなエレベーターの下カーソルが光っているので、下に向かっているのだろう。  が、カナ坊から返ってきたのは意外な言葉だった。  「………止まってるんじゃないカナ」  「そんな!カナ坊が二回言わないなんて!」  「突っ込むところが違うんじゃないカナ、違うんじゃないカナ」  「よかった、いつものカナ坊だ。そして二回言うな」  「ういちゃん、私どうすればいいのカナ、いいのカナ」  カナ坊は今は亡き親友の尼子崎初子を偲び、視線をさまよわせた。  どこか遠く、そう、一番上の浮島あたりから巫女服姿で「勝手に殺すな!」と初子が叫ぶ姿が浮かんできたが気にしないでおこう。  なぜ巫女服なのかは不明だ。  「つーか本当に止まってるのか、コレ」  とりあえず開閉ボタンを16連射してみる。  何も起こらない。  カーソルが光っているのだから、電気系統のトラブルではないはずなのだが。  とか思っていると、ふっとその電気も明滅を繰り返したあと、完全に消えてしまった。  「マジですか」  「ど、どうしよう靖臣くん!このまま出られないんじゃないカナ、出られないんじゃないカナ」  カナ坊は相変わらずのネガティブシンキングだ。  「心配するなカナ坊。とりあえずそこの非常用通話で助けを呼ぼう」  「うん。……………ダメだよ、靖臣くん、繋がらないよ」  「むう、しょうがない。ならば最後の手段だ」  「最後の………手段?」  カナ坊が心持緊張した顔を向けてくる。  俺は、深く息を吸い込み、そして全身全霊の力を込めて叫んだ!  「助けて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜すずねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」  「オミくん!どうしたの!!」  すると、コンマ1秒もたたずにすずねぇがエレベーターの扉を開けて現れた。  「速っ!!」  さすがに吃驚だ。  そんな驚異的な速さで救助に現れたこの人の名前は桜橋涼香。通称すずねぇ(命名:俺)。  俺と血の繋がりはないが、俺のことを実の弟以上に甘やかすダダ甘姉ちゃんである。  「っていうかすずねぇ、どうやってここ開けたんだ?」  「え?私は普通にエレベーターが来るのを待ってただけだよ。そしたらいきなり中からオミくんの叫び声が聞こえてきたからび っくりしちゃった」  それを聞いた俺とカナ坊は顔を見合わせた。  一体どういうことなんだ?  「それよりオミくん、若菜ちゃん。初子ちゃんたちが探してたわよ」  「あー、そういやあいつら置いてけぼりにしてたっけな。んじゃすずねぇ、カナ坊、戻るとするか」  「うん」  「そうだね、そうだね」  「二回言うな!」  そして俺たち三人は、一番上の浮島、インゼルヌルに居る初子たちの所まで戻ることにした。  

───視点『   』───

 ここは中央管制室。  そこに、モニターを見つめながらコーヒーをすすっている女性の姿があった。  「田中先生」  音もなく、空中から、違う女性が現れる。  「何、空?」  田中先生と呼ばれた女性が、空中を見上げる。  「先程のあれは、一体?」  先程のあれというのは、靖臣たちがエレベーターに閉じ込められたことを指している。  正確には、閉じ込められたように見せかけた、のだが。  「実験よ」  「実験、ですか。ですが、あまり倉成さんたちと関係あるとは思えませんが」  「まあね。あくまで個人的な実験だから。でも今回は…………失敗ね」  そう言って田中先生はコンソールを操作し、先程の記録を全てデリートした。  「面白いデータではあるけれど、あれは異端ね」  田中先生は、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した。  「雰囲気の良さ気な男女を密室で二人きりにして、さらに脱出不能という危機的状況に陥った時に人はどのような行動をとるの か。という実験だったのですね?」  「そうそう。空もわかってきたじゃない」  「はい。倉成先生の一番弟子ですから」  そして二人は笑いあう。  「でもRSDまで使ってあれだけ美味しい状況を作ってあげたのに、あの男の子って理解不能だわ」  「シスコン、というのでしょうか」  「いやぁ、あれはそんな単純な言葉じゃ言い表せないと思うわよ。それより空、そろそろ少年呼んでくれない?」  「はい、特訓の時間ですね」  「ええ、これだけは絶対に失敗させるわけにはいかないから」  そう言う田中先生の瞳には、強い信念の色が灯っていた。  ここは『LeMU』。  深海の楽園。  そのさらに奥深くに、目覚めを待つ者が居るという────