イリュージョン

 「ふぅ……」  さっきから俺の口からは溜め息しかでてこない。  いや、俺も迷ったかとは思ってたよ?  なんか、同じ場所くるくる回ってるような感覚だったし。  けど、まあ前に向かって進んでいけばそのうちきっとこんな森なんか抜けられる!……って思った俺が馬鹿でした。はい。  ということで今、俺は迷っている。  森の中をさまよっている。  怒涛のように迷いまくっている。  ……いかんいかん、思考回路までおかしくなってきやがった。  仕方ない、この辺りで少し休憩するか。  「ふぅ……」  腰掛けるのにちょうどいい切り株を見つけて座った俺は、また溜め息をついた。  そして空を見上げる。  木々に覆われていて、もちろん空なんか少ししか見えないが。  「ちきしょー!一体ここはどの辺なんだよー!!」  叫んでもむなしいだけだった。  そして、のどが乾いた。  ……なんだか踏んだり蹴ったりだ。  そんなわけで、俺はあるかどうかも分からない水を求めてまた歩き始めた。    「ふぅ……」  やはりというかなんというか、さらに森の奥に迷い込んだらしい。  生い茂った木々の葉によって光はすっかりと遮られている。  薄暗い森っちゅうのは不気味なもんだ、と始めて実感した。  ……などと冷静な思考を保っていても、身体は正直動かない。  どうやら、疲労が限界に達したようだ。  「………」  や、やばい。溜め息をつく気力すらなくなりかけている。  そんな風に木にもたれてぐったりしている俺の目の前を一匹の蝶が通りすぎていった。  ……蝶?  蝶にしちゃ、ちょっと大きかったよな。  それに、なんか人間みたいな姿で服着てたぞ?  って、フェアリーか?!  おれは、慌ててフェアリーが通りすぎていった方向に目をやった。  運良くフェアリーはまだ俺の視界の届く距離にいた。  そして、なんとなくではあるが、その先が光っているように見えた。  もしかして、出口か?  藁にもすがる思いの俺は、いつの間にかそのフェアリーの後を追っていたのだった。  「ほぅ……」  久しぶりに、俺の口から溜め息以外の言葉が発せられた。  フェアリーを追って辿りついたのは出口ではなかったが、俺に感嘆の声をあげさせるに充分の場所だった。  “光の泉”  いつ頃からかは分からないが、今ではすっかり定着したこういう場所の総称だ。  文字通り、光りを放つ泉が、俺の目の前にあった。  俺は追ってきたフェアリーのことなどすっかり忘れ、目の前の泉の水をすくって飲んだ。  ……ウマイ!!  身体中の疲労度が回復していくのがわかる。  さすが“光の泉”の水、効果は絶大だ。  “光の泉”の水は、教会のプリーストが使う聖水や薬剤師が作る薬の原料にもなるように、その水自体が疲労回復の効能を 持っている。  まあ、街中なんかにある“光の泉”は国や自治体なんかが管理しててなかなかその水は手に入らないんだが。  だから、こういう未発見の泉を発見すれば、闇取引なんかで大儲けできるのだ。うっひっひっひっひ。  それとも、どっかの国にここの情報を売るってのも悪くないかもな。たんまり褒美も貰えるだろうし。  ……な〜んて、しないけどな。どっちも。  別に俺は金目当てで旅してるトレジャーハンターでも、どっかの国に媚び売ろうとかも思ってねーし、  「は〜るかぜわーーー きーみにと〜どーくー」  そもそもどうして俺がこんな森にいるかというと、  「おーもいが あ〜 ふれー だーしーて〜」  そうそう、この旋律かどうかも怪しい声をだな、歌と認めたくはないんだが、  「わ〜た〜し〜のーーーー!!」  「下手くそ!!!!!」  「ひゃっ?!」  俺の声に驚いたのか、歌声がやむ。  俺はゆっくりと周りを見渡した。  が、猫の一匹見つからない。  「この音痴!隠れてないで出てきやがれ!」  「な、音痴?!それ誰のこと言ってんのよ!」  どこからか、声は聞こえる。  しかし相変わらず姿は見えない。声の感じからして女のような気はするが。  「おめーのことに決まってるだろ。言い返すくらいならどうして姿現さないんだ?」  「ちゃんと出てきてやったわよ」  「は?!どこにもいねえじゃねえか」  「上よ」  「上?」  言われた通りに俺は上を向いた。  そこには、さっき見かけたフェアリーが腕を組んでふんぞりかえって浮かんでいた。  と思ったら急降下してきて俺の額に蹴りいれやがった。  「!どこ見てんのよ、変態!!」  「いて!…おい、俺は何もしてないだろうが!」  「なによ、私を下から覗いてにやけてたじゃないの」  別ににやけてなどいないぞ。それにフェアリーは人間界じゃもともと裸のはず……  「……そういや、お前、何で実体化してるんだ?」  「へ?」  どうやら不意をつかれたらしく、フェアリーはとても間抜けな顔をしている。  「この辺りにゲートはなかったはずなんだが……もしかして、“はぐれ”か?」  「え、いや、その……」  おお、どもってるどもってる。どうやら正解らしい。  ちなみに、“はぐれ”とは正規のゲートを通らずに三界の間を行き来した者の総称で、密入国者みたいなものだ。  まあ、たまに本気で迷い込んできた“はぐれ”なんかもいるから一概にそうとは言いきれないが。  「じゃ、じゃあ、そういうことで……」  と、フェアリーが何もなかったかのように俺から遠のいて行く。  ……ふ、愚かな。  「縛」  俺はそう呟き、フェアリーの方に右手を向け、手のひらを地面と垂直になるように立てた。  瞬間、  「きゃ?!な、なに?」  フェアリーの周りに薄い光の幕が現れ、フェアリーを包みこんだ。  フェアリーは必死にその壁を破ろうとしていたが、無駄なあがきというものだ。  おれはもがいているフェアリーにゆっくりと近づいていった。  「ちょっと、あんた私に何したの?」  「何って、ただの足止めだ。別にお前を捕まえようとかいう気はないから安心しろ」  「本当?」  「ああ。大体、こっち側で妖精を裁いたりはできないしな」  「……わかった。信じるから、ここから出してくれない?私も逃げないから」  「まあ、いいだろう」  俺は再び右手を上げて、フェアリーの方に向けた。  「解」  一瞬でフェアリーの周りの光が消える。  「ありがと」  「で、さっそく本題だが、どうしてお前はここにいるんだ?」  「は?」  う〜む、質問が曖昧すぎたみたいだ。  「じゃあ、ここで何してたんだ?」  「何って……歌ってたのよ」  「……もしかして、歌うためだけに正規じゃないゲート通過してここに来たのか?」  「そうよ!悪い?」  なんかしらんがふてくされてしまった。  「ああ、悪い。別にやましいことするわけじゃないんだから正規のゲート通ってくればいいじゃないか」  「あんた馬鹿?ただ歌いに行きますってだけで正規のゲート通らせてくれるわけないじゃない!」  いや、そんなに怒らんでも。  「それに、あそこのゲートがここに一番近かったし」  「ここって、“光の泉”のことか?」  「そうよ」  「お前、“光の泉”に用があったのか?」  「そう。噂で人間界には自分の声を良くする泉があるって聞いて、多分ここなんじゃないかって思ったの」  「……残念だが、その噂間違ってるぞ。声を良くするのは“潤いの泉”だ」  「へ?」  「それに、“潤いの泉”も吟遊詩人なんかが何曲も歌えるようになる効果があるだけで別に音痴が治るわけじゃねーぞ」  「がーーーん!」  「というわけで、お前は二重に間違っていたわけだ」  フェアリーは茫然自失といった状態で立ち、いや浮かび尽くしている。  そんなにショックだってことは、自分が音痴だって自覚はあったわけだ。  「まあ、それはさておき、次の質問だ。森からの脱出方法を教えてくれ」  「へ?」  「だから、俺はこの森から出たいんだ」  「何、あなた迷ったわけ?」  「おう」  「……なんで自信満々なのよ」  「俺は自分でも惚れ惚れするくらいの方向音痴だからな。おっと、そういや自己紹介まだすんでなかったか。おれはホクト。 お前は?…あ、別に真名じゃなくていいぞ」  真名というのは、妖精界の住人だけに存在するもので、それを知っていればその妖精を召喚して使役することが出来る。  真名を教えるということは、契約を交わすということになるのだ。  そのために、妖精たちは人間界に実体化して現れるときには別の名前を使っている。  「ミカよ」  「わかった。じゃあ、ミカ、早速案内してくれ」  「ちょ、ちょっと、誰がいつオッケーしたのよ」  「なんだ、ミカも道に迷ってたのか?」  「む、そんなことないわよ!ほら、ちゃんとついてきなさいよ!」  こうして俺はミカの後について無事に森を抜け出すことが出来た。  「ふう、やっぱ外の空気はうまいなあ」  「そう?わたしは森の中の空気のほうがおいしいと思うけど」  「言葉のあやってやつさ。ところで、お前が通ってきたゲートってどこにあるんだ?」  「えっと、この辺にあったはず……って、なんでホクトもついて来るの?」  「いや、これも仕事だからな」  「私の尾行が?」  「違う!……っと、あれか?」  俺の目の前にはいつもと変わりない風景が映っている。  が、ある一部分の空間だけがわずかに歪んで見える。  そこがゲートなのだ。  「……随分小さいんだな」  その歪みは、フェアリーがやっと通れる位の大きさしかない。  「んじゃ、ミカはちゃっちゃと行ってくれ」  「へ?何するの?」  「ここを閉じる」  「えーー!なんでなんで?私以外にもここ通ってきたフェアリーとかシルフとかいるはずなんだよ?」  「……そんなに前から開いてるのか、ここは?」  「うん。もう3ヶ月くらいはたつと思うよ」  やれやれ、また職務怠慢とか言われそうだな。  「で、本当に閉じるの?っていうか、どうしてそんなこと出来るの?」  「まあ、ゲートキーパーだしな、一応」  「嘘!全然見えない……」  「ほっとけ」  まあ、よく言われるからもう慣れたけどな。  「今回は見逃してやるよ。まあ、このくらいのゲートなら開いてても問題ないだろう。ちゅうわけで、じゃあな、ミカ」  「待って」  「んあ?」  「私も行く」  「へ?なんで?」  「いや〜、実はあっちには帰りたくない理由が……」  「歌か?」  ミカは恥ずかしそうに頷いた。  確かに、妖精の歌声というのは大体透き通っていて心地よい感じがする。実際、人間界には吟遊詩人を生業とする妖精も多い。  それにしてはミカの歌はひどすぎる。俺の方向音痴に匹敵するほどだ。  まあ、声が綺麗なのが唯一の救いだ。あれでダミ声だったりしたらもう救いようもない。  「で、俺がどこに行くか知ってるのか?」  「知るわけないでしょ」  そりゃそうだ。俺も言ってないし。  「スウォークだ」  「どこ、そこ?」  そういや妖精のミカに町の名前いってもわかんないか。  「ここからちょっと西に行った所だ」  「そこに“潤いの泉”ってあるの?」  「ない」  「そう……」  ミカが残念そうな顔をして呟いた。  「さっきもいったが別に音痴は治んないぞ?」  「わかってるけど、やっぱ、一応試してみたいじゃない?」  まあ、その気持ちもわからんではないが。  「どうする?来るのか」  「うん。ホクトについてけば、いつかは“潤いの泉”に巡り合う気がするから」  「どうしてそう思うんだ?」  「フェアリーの勘」  そう言ってミカは悪戯っぱく笑った。  「さてと、じゃあ行きますか」  俺は早速スウォークに向かうべく歩きはじめた。  「ちょっと待って」  「ん?」  「スウォークって確か西にあるって言ったわよね」  「ああ」  「西はあっちよ」  ミカは俺の進行方向とは全く逆の方向を指差して言った。  「そ、そうか」  俺はくるっと回れ右をして再び歩きはじめた。  そして俺の隣をくすくす笑いながらミカがついてくる。  「ホクトって本当に方向音痴なのね」  「ほっとけ。ミカも音痴だろうが」  「……不毛よね」  「だな」  俺たちは同時にため息をついた。  そして顔をあげてお互いに微笑みあう。  ミカとは長い付き合いになりそうだ。  そんな予感を感じながら、俺たちはスウォークに向かい歩き始めた。
<終幕>