月影

 夜の校舎はいたって不気味だ。  出来れば、そんな場所に行くことは遠慮したい。  だが、三嶋隆明にはそこへ行かねばならない理由があった。  「はぁ、まったくついてねえなあ」  とぼとぼと廊下を歩く。  「ほんと、ドジなんだから」  ふわふわと廊下を進む。  「……ところで槐、どうしてお前が出てきてるんだ?俺は呼んだ覚えはないんだが」  そう言って横を向いた隆明の目には、少女の姿をしたモノが浮かんでいた。  隆明に槐と呼ばれたそれが人間以外の何かであることは、一目でわかる。  何故ならば、槐は人間の少女の姿をしてはいるものの、身長が30cmほどしかなく、背中には4枚の小さな羽根が生えていて、 頭には小さな角が生えているからだ。  「だって、隆明一人じゃまだまだ危なっかしいじゃない」  くすくすと笑いながら槐は隆明の回りをくるくると飛びまわっている。  「ったく、“式”のくせに偉そうに」  「あら〜、いつもその“式”に助けてもらってるのは誰かしら?まだ“客式”の一つも持たないくせに」  キャハハハと笑い声をあげて、槐は隆明の肩をバンバンと叩いている。  「うっせ〜な〜。だからこうして捕まえに来てるんじゃねえか」  「うんうん。昨日は失敗したからね〜」  槐はまだ笑い続けている。  「ちっ、もういいだろその事は。今日は昨日みたいな失敗はしないさ。あいつが“イタチ”の闇だってのもわかったし」  「まあ、そうだけど。なんとなく嫌な予感がするのよ」  さっきまでとはうって変わって、槐の声は真剣だった。  「なんだよ、それ……」  コツコツと、廊下には隆明の歩く足音が響く。  ふいに、その足音が止まる。  「隆明……!!」  「ああ、わかってる」  隆明が見つめる視線の先。  そこには、月明かりに照らされて浮かび上がった後ろ姿があった。  白い髪、白いコート、白い靴。  人影は、全身に白を纏っていた。  その白のさらに先に見えるのは──  一匹のイタチが脅えている姿だった。  「待て!!」  隆明は慌てて駆け出す。  「あの、バカ!自分から存在を気づかせてどうすんのよ!!そんなんだからいつまでたっても一人前の“闇狩り”になれない のよ」  愚痴愚痴とこぼしながらも、隆明の後を追う槐。  すると、隆明のことに気づいたのか、白い人影が振りかえった。  「おや、こんなところで人に出会うとは珍しい」  全く表情を変えず、無機質な声で白い人影は呟いた。  その顔は、性別の判断が不可能なほどに中性的で、ただ、瞳だけが紅く光っていた。  「あんた、“使徒”だな」  やや厳しい表情で、隆明が問う。  「いかにも。私は依頼を受けてこの地の闇を浄化に来た使徒です。そう言うあなたは“闇狩り”ですね?」  「そうだ」  使徒の声に、隆明は短く答える。  「やはり。そこに浮かんでいる“式”はどうやら幻獣系、しかも龍族でしょう。もっとも、まだ幼体のようですが」  「そんなことより、そいつをどうする気だ」  「おやおや、気の短い人だ。私としては久々に“闇狩り”と会ったものですからもう少し話しをしていたかったのですが」  「俺はお前と話すことなんかないし、話したくもない」  「これは嫌われてしまいましたね。もっとも、“使徒”と“闇狩り”は対を成す存在。けれど、決して平行線ではないので すよ」  「お喋りはそこまでだ、早くそいつを離せ」  「ふう、そんなに怒鳴らないでください。私は気が弱いんですから」  使徒がため息を一つつき、「汝が縄、汝が戒め、我が手に戻りて空とならん」と呟く声が聞こえた。  と、いままで脅えていたイタチが、急に落ちつきを取り戻した。  「使徒は確かに闇を浄化する光の言霊使い。けれど、闇がなければ育たぬ命があることを私は知っています。“闇狩り”すら 葬ろうとする現評議委員のやり方には疑問を禁じ得ませんね」  そう言って使徒は隆明の方へと近づいてきた。  「あの“闇”は、あなたのご自由になさって構いません。それから、木葉さんに白面がよろしくと言っていたとお伝えくださ い。では」  隆明にそれだけ告げると、使徒は静かに去っていった。  「ふぅ……」  使徒の気配が完全に消えると、隆明はその場にへたりと座りこんだ。  「大丈夫?隆明」  「ああ、なんとかな。お前のほうこそ大丈夫なのか?」  「うん。でも、この姿のままじゃ白面になんてかなうわけないんだけど」  「なんだお前、あいつのこと知ってるのか?そういや、あいつも母さんのこと知ってるみたいだったな……」  「そんなことより、今はほら、あの子のことでしょ」  「あ、ああ。そうだったな」  今一つ納得はいかなかったが、それでもその場にうずくまっているイタチをほっておくわけにもいかず、隆明は近づいていっ た。  「よう。昨日は驚かせて悪かったな」  つとめて明るく話しかける隆明。 けれど、イタチは返事を返さない。  「怒ってるのか?そりゃそうだよな、今日だって俺のせいで見つかっちまったようなもんだし……そこでだ、俺と契約を結ば ないか?」  ぴく、と微かにイタチの身体が反応した。  「そりゃ、お前がここを気に入ってるのもわかるさ。だけどな、いつまでもこんな所に憑いてたら、いつまたさっきみたいな 使徒がお前を狙ってくるかわかんないんだぜ?」  「ヌシハ、ワレニヌシノ客トナレト言ウノカ?」  むくりと顔を上げて、イタチが問いかけてきた。  「まあ、平たく言えばそうなるかな。それが嫌なら、別の場所に移してやってもいいけど」  イタチは、しばらく考えた後、  「イイダロウ。先程ノ恩モアル。ヌシヲ主ト認メヨウ」  「……サンキュ。じゃあ、早速お前の名前決めなくちゃな。何かリクエストはあるか?」  「主ノ望ムママニ」  「わかった。ん〜〜と、よし!まずは手のひらに簡易結界を書いて、っと。……彼の者、闇を住まいとし、我今、闇夜に願わ くば、新たな生を新たな名と共にせん。彼の者に“柊”の名を与えん!」  隆明が、イタチの頭上に手をかざすと、イタチの体が淡く光り出す。  “闇”が“客式”へと生まれ変わった証である。  「……主ヨ、一ツダケ聞イテモヨイカ?」  「ん、なんだ柊」  「何故ワレヲ助ケヨウト思ッタノダ」  「ああ、それは……」  「隆明がバカだからよ」  「!!なんだよそれは!!」  「クク、ハハハハハ。主、槐殿、ヌシラトハウマクヤッテユケソウダ」
<終幕>