目の前に突然現れた男が最初に口にしたのは、突拍子もない言葉だった。 「君は奇跡を信じるか?」 それはなんの抑揚もない平坦な声で、そこに男のいかなる意思も感じることはできない。 その男の顔は能面のように無表情であった。 次に男は、 「君は奇跡を願ったことはないか?」 と聞いてきた。 前と同じく、冷たさも温かみも感じさせない声で。 男は眉一つ動かさない。 言葉を発する口さえも、静止したままのように感じてしまう。 長い黒髪、黒衣のローブ、光りを宿さない漆黒の瞳。 その容貌は、どことなくカラスを連想させた。 男は続ける。 「もしも奇跡が叶うのならば、君は何を願う?」 相変わらず男は表情を崩さない。 答えを待っている風でもなく、男は淡々と続けていく。 「君が奇跡を起こせるとしたら、何を望む?」 この男はさっきから何を言っているのだろうか。 奇跡など起こるはずもなく、起きないからこそ奇跡だというのに。 「そうか。それが君の望みか」 突然、男の声に感情がこもる。 それは、嘲り、見下し、突き放す声。決して心地よい類のものではない。 「ならば望み通り、君の世界から奇跡を取り除こう。もっとも、もう君には関係ない話だがね」 男が垣間見せた笑顔は、とても邪悪なものだった。 「何故ならば、君は既に世界に見放されているのだから」 男の手が胸を貫く。 けれど、いつまでたっても痛みは身体に伝わってこない。 「おや、不思議かい?でも、しょうがないさ。君はもう死んでいるのだから」 邪悪な微笑をたたえたまま、男が言い放つ。 「君は愚かだ。分かっていながら、生への希望を捨てた。奇跡は起こるものではなくて、起こすものだというのに」 それは、自ら命を断った者への憐れみにも聞こえた。 「それでは行こうか。君の望んだ世界へ……」 男の声に抗うこともせず、深い闇に意識を潜りこませてゆく。 そして、全ての奇跡を置き去りに、世界は消滅した。 使者
<終幕>