天体観測

 月明かりが夏の夜道を照らしている。  その日は、珍しく寂とした夜だった。  ただ、肩を並べて歩く二人の間だけはその静寂とは無縁だ。  「本当だって。ちゃんとラジオでいってたんだから」  「そう?でも、なんだか雲行き怪しいわよ?」  空を見上げながら秋葉が言う。  「大丈夫、大丈夫。雨なんて降らないって」  自信満々といった感じで志貴が答える。  「でも、志貴の根拠のない自信ほどあてにならないものないし」  「だから、ラジオで言ってたっていったじゃないか〜」  「はいはい、わかったわよ」  時刻は、午前2時。  彼らは学校の屋上へと向かっていた。  「にしても、秋葉のその荷物って……」  秋葉が抱える荷物を呆れたように見て、志貴は呟く。  「いいじゃない。やるからには本格的にやんないとね」  そう言って軽く微笑む秋葉。  「まあ、そりゃそうだけどさ」  照れたのか、秋葉から視線を逸らして頬をかく志貴。  「志貴の方こそ、それだけで大丈夫なの?」  「うん。僕は大体いつもこれ一本で済ませてるんだ」  そう言って志貴は肩に担いだ天体望遠鏡を担ぎ直した。  それからしばらく、二人は無言で歩いた。  次に静寂が破られたのは、二人が学校へ到着した時だった。  「ねえ、どうやって中に入るの?」  少し不安そうな声で秋葉が呟く。  「裏のほうに抜け道があるんだよ」  ちょっと誇らしげに志貴が答える。  「抜け道?」  「うん。あんまり知られてないんだけど、裏の垣根の所にちょうど人一人が通れるくらいの場所があるんだ」  「へえ、知らなかった」  裏手のほうへ回りこんで、志貴はその場所へと秋葉を案内した。  「あ、本当にある。でもぱっと見じゃわからないわね」  「まあね。でも、ここは僕が見つけたわけじゃないんだ」  「え?じゃあ誰かに教えてもらったの?」  「うん、まあ……」  歯切れの悪い返事に、秋葉は一瞬戸惑う。  志貴の表情も少しだけ陰る。  「……入ろうか」  「……そうだね」  重い空気を引きずったまま、二人は学校へと入っていった。  「う〜ん、やっぱここだよね」  屋上へと着くなり、志貴は望遠鏡を床に置いて大の字に寝そべった。  「秋葉もどう?」  笑顔で秋葉に勧める。  秋葉もふぅと一つため息をつき、笑顔で腰を下ろす。  「星、綺麗だね」  空を見上げながら秋葉が呟く。  「うん。じゃあ、そろそろ始めようか」  そう言って立ちあがり、志貴は望遠鏡を準備し始めた。  秋葉の方も、望遠鏡を組み立て始める。  そして二人は、背中合わせに望遠鏡を覗きこんだ。  星は輝く。  その輝きは、実際には何千年、何万年といった過去の輝きであるのだが、衰えることなく地上に降り注ぐ。  そんな星々の光りを、二人は言葉を失くして見上げている。  時間さえも失うほどに、ただ望遠鏡を覗いている。  何かを探すように、何かを求めるように。  呼吸の音すらかき消されるような静寂の中、二人の距離が近づいてゆく。  ゆっくりと、けれど確実に。  やがて、背中合わせの秋葉の感触が志貴に伝わる。  けれど志貴は、気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、何の反応も示さずただ静かに天を見上げている。  「……お姉ちゃんでしょ」  ふいに聞こえてきた言葉に、志貴の呼吸が一瞬止まる。  「やっぱり」  ため息混じりの秋葉の声。  志貴は何も答えない。  「私じゃ、ダメなのかな…」  秋葉の声は震えている。  志貴は何も答えられない。  ただ、地を掴む手に強く力をこめる。  背中越しに、秋葉の鼓動が伝わる。  背中越しに、秋葉の震えが伝わる。  振り向けば、そこに泣き出しそうな秋葉がいる。  振り向けば、そこに崩れ落ちそうな秋葉がいる。  けれど志貴は振り向かない。  けれど志貴は振り向けない。  自分の気持ちがわからないから。  あの日の想いを今も抱えているから。  だから志貴は星を見上げる。  遠い大地で、あの人がきっとそうしているように。  いつまでもいつまでも、答えを探して。
<終幕>