その部屋で、男は目を覚ました。 「ここは?」 明らかに見たこともない部屋である。その部屋を端的に言い表すと、殺風景という言葉がまず浮かぶ。もしくは殺伐。 男はぼんやりと辺りを見回す。 灰色の壁、灰色の天井、灰色の床。 全ては灰色で囲まれている。家具らしきものは何一つない。それでも、不思議と生活臭が感じられた。 「!!」 一通り部屋を見回した男は、自分が握り締めているものに気づいて愕然とした。 それは、どす黒い血の染み付いたナイフであった。 そのナイフは鈍い光を放ち、彼の姿をとらえる。 「ひっ」 男は慌ててそのナイフを離そうとする。しかしーー 「!?」 離れない。 ナイフを固く握り締めた彼の右手は、彼の意志に反してその指を開こうとしない。左手を使いこじあけようとするが、無理に 離そうとすればするほど、深く、固く、強く閉ざされて行く。 右手との格闘に疲れた男は、そのままその場に座り込む。 と、部屋の隅に全身を映す鏡があるのを発見した。 「?」 彼は訝む。 さっきまでは何もなかった。そう、この部屋には何もなかったはずなのだ。 彼は鏡へと近づいていった。 「!!」 鏡に映し出された己の姿を見て、言葉を失う。 そこには、鮮血を浴びた、見知らぬ男が映っていた。 その瞳は光を宿しておらず、手には彼が持つ物と同じナイフが握られている。白装束に鮮血が生々しく付着し、何の手入れも されていない頭髪が、ゆるぎない狂気を表す。 彼は立ちすくんでその場から動けない。 殺される。 そう思い瞳を閉じた瞬間、何かが光ったような気がした。 「?」 恐る恐る目を開けた彼の前に、先ほどの怪人は現れず、恐怖に震える己の姿があった。 ただ、ナイフは全く同じ場所に映し出されていたが、彼はそのことに気づいていない。 「ふぅ…」 彼はようやく安堵のため息をつくことが出来た。 そして、彼は一刻も早くここを出ようと決意した。 が─── 「!???」 無い。 扉が無い。 窓も、換気孔も外と通じているような場所が何一つ無い。 今まで気づかなかったが電気すらない。 それなのにこの明るさはなんだ? まるで部屋自体が光っているみたいだ。 「一体、どういうことだ?」 そう、彼が今いるのは部屋というより、むしろ箱に近かった。 その箱に閉じられているのは恐怖かか絶望か、あるいは悪夢か。 彼は手当り次第に壁を調べていったが、隠し扉のようなものはついに発見出来なかった。 「くそっ!」 彼はいらついていた。 右手のナイフ、突然現れた鏡、出口のない部屋。 これだけのことが起こっても落ち着いていられるならば、その方がむしろ異常だろう。 彼は胸のポケットからタバコを取り出そうと右手を左胸に近付けた。 「!!」 彼は危ういところでその事実に気づいた。 彼の右手にはナイフが握り締められているという事実に。 そのナイフはもうほとんど彼の右手と一体化していた。何気ない動作に何の違和感も感じなくなっていたのだ。 「ちっ」 彼は仕方なく慣れない左手でタバコを取り出し、ライターでタバコに火をつけた。すると、 「!!」 突然、部屋の明かりが消えた。 彼は、あまりの出来事にライターを床に落としてしまった。慌てて床を調べる。が、どこにもない。 そして彼は、ライターを落とした時に当然聞こえるはずの反響音がなかったことに気づいた。 いまや頼れる明かりはくわえたタバコのみ。 しかし彼は、もはや思考という行為すら忘却してしまうほど、暗闇に溶けこんでいた。 彼の選択は正しかったのかもしれない。 “無”から生まれる“有” これが暗闇の恐怖の本質なのだから。 闇と対面すると二つの選択肢が用意されている。 闇を払うか、闇に溶けるか── 後者を選んだ男の行く末を、誰が知ることができようか。 in the room
<終幕?>