Sister Paradise

 「聞いたか、純也?」  朝、教室に着くなり亮太が犬のように駆け寄ってきた。  「なんだ、お前に妹でもできたのか?それはよかったな」  亮太が嬉々として話かけてくるときは大抵ろくな話ではないので適当にやり過ごす。  「そりゃお前の境遇は非常に羨ましいが残念ながら俺には弟しかいない。というか真面目に話聞けよ」  亮太も大した話ではない場合は大人しく引き下がるのだが、今回は違うようだ。  「で、一体なんなんだ?」  とりあえず話だけは聞いてやることにする。  「ああ、なんでもこのクラスに転校生が来るらしいぞ。しかも美少女らしい」  「美少女って、お前見たのか?」  「んにゃ。まあ、まだ噂の段階ではあるがな。ある筋からの情報によると九条綾音似の特A美少女だそうだ」  亮太はこのように、非常に怪しい『ある筋』という情報経路をいくつか所有している。  情報の信憑性はピンキリではあるが、少なくとも完全に外れという場合は俺の記憶の限りでは、ない。  ということはだ。  「帰る」  「は?」  「もしくはお前が先輩をかどわかせ」  「おい、純也。お前何言って…………って、まさか!」  「ああ、多分、そのまさかだ」  「南無〜」  「拝むな!というわけで俺は帰る。後よろしく」  「待て!本当に本当なのか確かめてからでも遅くないだろ?単に、ただ似てるだけの別人ってこともあるし。っていうか、そっ ちの確率のほうが明らかに確率高いじゃん」  亮太のその言葉に、俺は深いため息をついて首を横に振る。  「お前、アヤの特徴知ってるよな?」  「ああ、純和風の綺麗な長い黒髪と、欧米人のような顔立ちがアンバランスに整ってることだろ」  「で、そのアヤに似てる人間をお前は知っているか?」  「……………あ」  何かの雑誌に書いてあった。  九条綾音の魅力とは、決して不等号の成り立たない顔立ちにある、と。  それを読んだとき、長い間付き合っている俺でさえ、なるほどと思ったものだ。  そう、九条綾音に似ているということは、それは九条綾音本人だということを意味することになるのだ。  「なるほど。それでこそ私のお義姉様ですわ」  「って、先輩!いつからそこに!!」  そこ、とは俺と亮太の間である。  先輩はちんまいから気づかなかったのか。  それとも気配を消していたのか。  多分両方なんだろうが。  「早くお会いしたいですわ」  出来れば会わせたくないんだが、俺が居ないところでばったり会ったりすると余計ややこしい事態になるだろうし。  どないせいっちゅうねん。  「でもそれよりまず先輩は自分の教室に戻ってください。もうすぐ予鈴ですよ」  「わかりました。それではお兄様、また後で」  案外潔く去っていった水穂。  去り際のウインクは見なかったことにしよう。  キーンコーンカーンコーン。  「あ」  喧騒はそのままに、ばたばたとクラスメイトたちが自分の席に戻りだす。  しまった、逃げ出すタイミングを逃してしまった。  「ま、頑張れ」  心無い応援を残して立ち去る亮太。  むー、どうするか。  とりあえず気配を消して顔を伏せておこう。  転校生の噂はぼちぼち広まっているようで、いつもより喧騒大きい。  「ねぇねぇ、うちのクラスの転校生って、江成君って噂本当かな?」  「そうなの?私はムギーだって聞いたけど?」  隣から聞こえてくる会話に代表されるように、どうやら噂は錯綜しているようだ。  共通点は“芸能人”という点だけ。  願わくば、その辺に期待して亮太の情報が誤報であることを祈る。  だが。  「たのもーーーーーーーー!!」  教室に響く場違いな声に、俺の願いは早くも砕け散った。  つーか、扉を開けるたびに叫ぶあの癖はまだ抜けてなかったのか、あいつは。  で、その声で一瞬静かになった教室だが、声の主が教室に入った途端に今まで以上の熱気に包まれた。  「九条?」  「本物なの?」  「可愛い〜」  「すげぇ……」  「ゲッツ!」  など、皆思い思いの言葉を口にしている。  「み、みなさ〜ん、お、お、お、ちついてくださ〜い」  という担任が一番うろたえているように思われる。  ちら、と亮太のほうを見ると、何故か白い歯をキラリと光らせたりしていた。  「はい、というわけで今日からこのクラスに転校を余儀なくされた九条綾音さんです」  担任もいまだ動転しているのかわけのわからん紹介をする。  「今日からこのクラスに入ることになりました、九条綾音です。みなさんよろしくお願いします」  刹那、怒号とも嬌声とも阿鼻叫喚ともしれぬ濁流が教室を飲み込んだ。  まあ、現役グラビアアイドルがクラスメイトになるんだから無理もないかもしれない。  だが、俺にとってアヤは幼馴染で、婚約者で、そして恋人だ。  さすがに皆と一緒にはしゃぐ気にはなれなかった。  「えと、じゃあ九条さんの席ですが」  「先生、私の席はもう決まってます」  あ。  なんか悪寒がする。  てくてくてくてくてくてくてくてく、ぴと。  「ここです」  と言って、俺の膝の上に座るアヤ。  まあ、ある程度覚悟していたことではあるが。  まさかここまでやるとは。  「アヤ、重い」  とりあえずアヤを膝から下ろす。  さっきから数多くの死線を感じるが、いちいち気にしてもしょうがない。  「相変わらずジュンは冷たいなぁ。折角私が転校してきたっていうのに」  「それだ。なんで今更こっちに来たんだ?」  まあ、だいたい分かってはいるが。  「ん、害虫駆除」  物騒なことを涼しい顔で言う。  「ったく、そんなもん余計な心配だっつーの。それとも、俺のことが信じられなくなったのか?」  「そんなわけない!ただね、女の勘が危険なシグナルを受信したの」  なんちゅう曖昧な理由だ。  「あのー、それはそうとお二人さん」  なんだか申し訳なさそうに亮太が俺たちの間に入ってくる。  「お、亮太君おひさ」  「おひさ〜、はおいといて、そろそろ皆に事情を話さないと、純也、闇討ちか毒殺か自爆されかねないぞ」  「大丈夫だ、すべて返り討ちにする自信がある」  「その前に、私がそんなことさせないけどね」  「………久々に見たけど、やっぱ二人揃うと無敵だよ、お前ら………」  すごすごと引き下がる亮太。  「でもまあ、亮太の言うことも尤もではあるな」  「っていうか何、ジュン。私と付き合ってるって皆に隠してたの?!」  「隠すというか言ってないだけだ。どうせ誰も信じないだろうしな。というか言う必要もなかったし」  「え、告白とかされなかったの?」  「ただの一度も」  まあ、お兄様になってくれとは言われたがな。  「へー珍しい…………って、ジュン、学校でいつもそんな顔なの?」  「学校でというか、四六時中こんな顔だが」  「なるほど。よっぽど目のいい娘じゃなきゃジュンの良さはわからないわね。それか戦闘モードを知ってる娘」  その言葉を聞いてちょっとはっとした。  そういや北園三姉妹って全員俺の戦闘モード知ってるじゃないか。  いや、だからどうしたというわけではないが。  「そういうことならしょうがない。私から事情を説明しておくわ」  というか、今までの俺たちの会話をクラス中が息を潜めて聞いていたので大体事情は察せているとは思うのだが。  「宣誓!私、九条綾音は彼、佐伯純也に身も心も捧げることを誓います!」  「アヤ、お前はもうちょっと普通に出来ないのか………ま、不束ものですがよろしくお願いします」  「ジュン、あなたもあんまり人のこと言えないんじゃない?」  「というわけで、純也と綾音ちゃんは付き合ってるんだ」  何故か亮太が締めに入る。  「二人にちょっかいかけると、消されるからやめといた方がいいぞ、マジで」  妙に実感のこもった亮太の声に、教室内の温度が少し下がった気がした。  「というわけで先生、そろそろ授業始めていいですよ」  そして廊下で立ち往生していた一時間目の担当教諭に声をかける。  つーかいつのまにか一時間目始まってたのか。  そしてなしくずし的に俺の席で授業を受けることになったアヤ。  さすがに椅子は今日もまた休みの浅間のやつを拝借したのだが。  あ、そういやアヤに水穂のこと言ってない。  が、まあそのうち嫌でもわかるだろうしな。  百聞は一見に如かずってやつだ。  まあ、それはともかくとして。  さっき言えなかった俺の本心を、耳元で囁く。  「お帰り、アヤ」
─fin─