虹を見た夏

 久しぶりの夕立がやむのを待って、僕は教室の窓から外を眺めていた。  雨が降るとなんとなく憂鬱で、ついつい下を向きがちになる。  天気予報なんか見てないので傘は持ってきてない。  まあ、見てたとしても持ってきてないだろうけど。  「はぁ、早く雨あがんないかなぁ……」  「な〜に湿っぽい顔してんのよ、潤!そんな顔じゃあ晴れるもんも晴れないわよ!!」  「うわっ?!な、なんだよ里美。いきなり後ろから大きな声ださないでくれよ」  突然現れたこいつの名前は高杉里美。一応、僕の彼女だったりする。  「ま、そんなことより早く帰ろ?」  「え?帰ろうったって、外、雨だよ?」  「そんな事わかってるわよ。ほら、早く早く」  「え?え?え?」  わけがわからないまま、僕は教室を引っ張り出された。  里美は普段から活発で、僕とは正反対のタイプだと思う。  僕は、そんな彼女に振り回されながらも、いつしか彼女の元気に救われていたのだと思う。  そう、今日みたいな雨の日は特に──  「だから、僕は今日傘持ってきてないんだって」  「あら?それは奇遇ね。私も傘持ってきてないの」  「え?じゃあどうやって……」  「もちろん、歩いてよ」  里美の提案は、時として僕の予想をはるかに越える。  「私ね、雨に打たれるのって結構好きなの」  そして、笑顔の彼女に、僕は逆らえない。  「わかった。じゃあ帰ろうか?」  「うん!」  そして僕たちは歩き出す。  ぬかるんだ道、空を覆う雲、アスファルトを打つ雨の音。  いつもの景色、変わらぬ気配。けれど、今日はどこか違っている。  「ね?意外と気持ちいいでしょ。冬じゃこうはいかないからね〜」  「そりゃ、冬だと風邪ひくよ。まあ、夏でも風邪ひいちゃうかもしれないけど」  「大丈夫大丈夫。私、体だけは丈夫だから」  「……僕は?」  「え、ええ。大丈夫なんじゃない、多分」  「なんか不安だな〜」  「ん?ねえねえ、そろそろ雨あがりそうよ」  「あ、ほんとだ」  見上げる空の雲間に、かすかな光がさしていた。  「虹、架かるかな……」  それは、ほんとに小さな呟きだったけど、何故だか強く耳に残った。  「架かるよ、絶対」  この時僕は、それがどんなに無理な願いでも叶えてあげたい、初めてそう思った。  灰色だったそらは、やがて澄んだ青に変わる。  僕らの肌を濡らしていた雨も、すでにあがっている。  空を見上げる。そこには……  「ほら!虹、虹が架かってる!!」  虹を指差す彼女はとても嬉しそうで、なんだかこっちも嬉しくなる。  「うん。綺麗だよね」  空を彩る虹も、虹を見つめる君も。  「どう?少しは気分が晴れた?」  「ん、まあね」  「もう、素っ気無いわね。なんか拍子抜けしちゃうわ」  「いや、ほんと里美には感謝してるよ。ありがとう」  「……面と向かって言われると、なんか恥ずかしいわね」  僕から目をそらして彼女は呟く。  そして僕たちは、再び歩き出す。  雨の日はいつも憂鬱だった。  いつも下を向いて歩いていた。  けれど、雨はいつかは上がる。  雨の後には虹が架かる。  そして、虹には魔法がかかっている。  それはささやかな魔法ではあるけれど、僕にはとても大事な魔法。  空を見上げる勇気をくれる、小さな小さな魔法の力。  虹に魔法をかけたのは君。  虹の魔法にとらわれた僕。  そんな虹を二人で見上げた、あの夏の夕暮れ。
─Fin─