ラフ・メイカー

 バタン!!  乱暴にドアを閉めた勢いそのままに、トモヒロはベッドに倒れこんだ。  「ちくしょう、ちくしょう………!!」  握り締めた拳で力いっぱいベッドを殴りつける。  本当は、俺はこんなとこに居るはずじゃないんだ。  今日はクリスマスイブ。  恋人たちを祝福する聖なる夜に、トモヒロは別れを突きつけられた。  「なんでだよ!なんで今日なんだよ!!!」  トモヒロにも予感はあった。  なんとなく、自分に対する愛情が薄れているのがそれとなく感じとれた。  それでも、まだ大丈夫だという自信が友宏にはあった。  そしてそれをより確かなものにするために、綿密に今日の計画を練っていたのだ。  しかし、  『今日、別の人と過ごしたいの』  彼女のこの一言が、トモヒロの視界を黒く染めた。  足早に去って行く彼女にかける言葉さえ失い、呆然と立ち尽くしていた。  「は、はは」  そしてこぼれる乾いた笑い。  同時にこぼれる、一粒の雫。  「………っ!」  それに気づいたトモヒロは、走って自分の部屋へと戻ってきたのだ。  「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!!!」  涙は、まだおさまる気配すらない。  こんなにも、悲しくて、悔しくて、やるせない気持ちは初めてだ。  今までにも失恋の経験はある。  トモヒロから別れを切り出したことも、その逆も。  しかし、ここまで身を切られるような痛さを感じたことは今までなかった。  「くっ……うっ……うぁっ……」  ひとしきりベッドを叩いた後、トモヒロはぎゅっとシーツを握り、声をあげて泣き始めた。  自分でも何故だかわからない。  涙が、身体を支配している、そんな感覚。  トントントン。  唐突に鳴り響いたノックの音が、トモヒロの嗚咽を中断させる。  「サチ!」  捨てきれない感情から生まれた一縷の望みが、トモヒロの叫びとなった。  慌てて玄関に行って扉を開けようとしたが、泣きはらした顔を見られるのも恥ずかしかったのでまずはドア越しに話しかけた。  「なんだよサチ。戻ってくるんならそう言えよ」  「残念ながら、私はサチという名前ではありません」  一瞬にして、トモヒロの視界が暗くなった。  ドア越しに聞こえてきた声は聞きなれた女性の声ではなく、どこかあかぬけない男の声だったのだから。  「ああ、そうかい。うちは新聞間に合ってるからさっさと帰ってくれ」  力無い言葉で男を追い返そうとするトモヒロ。  「いいえ、私は新聞や宗教の勧誘にきたのでも、何かをセールスしにきたわけでもありません」  「じゃあ、あんた一体なんなんだよ」  「私は“ラフ・メイカー”です」  “ラフ・メイカー”という単語は、トモヒロにも聞き覚えがあった。  ただ、具体的にどんなことをしているかまでは知らない。  一つだけ覚えてるのは、“笑い”と関係があったということだ。  「あなたに、笑顔を持ってきました」  「はん、俺を笑いにきたってのか?ああ、いくらでも笑われてやるぜ」  自虐的に答えるトモヒロ。  「いいえ、あなたに笑ってほしいのです。あの、外は寒いので中に入れてもらえませんでしょうか?」  「ヤなこった」  トモヒロは即答した。  「俺は別にあんたに笑わせてほしいとなんか思ってねえんだ。構わないで消えてくれよ」  負の感情が、言葉となってはっきり表れている。  「そんな、困ります。あなたに笑ってもらわないと、私まで悲しくなるんです」  「知ったことか!いいから消えろよ!」  激しく怒鳴りつけるトモヒロ。  ドア越しに息を飲む気配が伝わる。  これで、“ラフ・メイカー”も立ち去るだろうと思い、トモヒロは玄関から去ろうとした。  と、  「ひっく……ひっく……」  ドアの外から人のすすりなく声が聞こえてきた。  どうしても耳に残るその声が気になり、覗き穴から外を覗いてみると、案の定“ラフ・メイカー”が立ったまま泣いていた。  (ああ、くそ!いったいなんなんだよ!)  “ラフ・メイカー”はトモヒロが想像していたよりも若かった。  言葉使いから、30代だろうと思っていた容姿はどうみても20代前半、もしかしたら10代でも通用するかもしれない。  黒いコートを着て、黒のブーツを履き、黒いシルクハットを被っている。  聖夜には、いかにも似つかわしくない地味な格好だ。  そして、そんな男がドアの外で泣いているのである。気にならないはずがない。  トモヒロは、ドアの前に座ると“ラフ・メイカー”に語りかけた。  「なあ、あんた、俺を笑わせに来たんだろ?あんたが泣いてちゃしょうがねえじゃねえか」  「…ひっく……はい、そうですね」  「その、なんだ。さっきはちょっと酷く言いすぎたかもしんねえ。悪かったよ」  「いえ、私の方こそ取り乱してしまって……そういう、情緒不安定な方に笑顔を持っていくのが私の仕事なのに」  「………そうか」  落ちついて考えると、この“ラフ・メイカー”は別に何も悪くない。  むしろ、歓迎すべき存在なのではないか?  トモヒロにはそう思えてきた。  「“ラフ・メイカー”さんよ、その、今でも俺を笑わせるつもりはあるのか?」  ちょっとバツが悪そうにトモヒロがたずねる。  「もちろん!それだけが生き甲斐ですから。あなたを笑わせるまで、私はここを離れないつもりです」  「そうか、じゃあちょっと待ってな」  ガチャリ。  トモヒロは部屋の鍵を開けた。  「鍵、開けたから。勝手に入ってきてくれ。来なきゃ来ないで別に構わないから」  そうとだけ言って、トモヒロは玄関を後にした。  自ら扉を開いて招き入れることは、ためらわれたのだ。  “ラフ・メイカー”を泣かせたのは他ならぬトモヒロなのだから。  それでも、“ラフ・メイカー”はやって来るだろうとトモヒロは思った。  果たして、“ラフ・メイカー”はトモヒロの前に姿を現したのだ。  「こんばんわ。改めてはじめまして。私、あなたに笑顔を持ってきた“ラフ・メイカー”です」  丁寧にお辞儀をする“ラフ・メイカー”。  そして、頭を上げたときに、自分の懐から小さな鏡を取り出した。  それをトモヒロに向けて、“ラフ・メイカー”が言う。  「あなたの泣き顔、笑えますよ?」  笑顔で、そんなことを言う“ラフ・メイカー”。  一瞬、あっけに取られたトモヒロだが、鏡の中に映った自分の顔を見るなり、  「…っく、ははははははっ!!なんだよこの顔!!だっせー!俺ってこんな顔してねーよ!はははははっ!!!」  と、豪快に笑い出した。  それを見て“ラフ・メイカー”も声をあげて笑い出す。  そして、二人の笑い声が響きあうなか、トモヒロは“ラフ・メイカー”のテーマというか信念のようなものを思い出していた。  『心からの笑いをあなたに』
<終幕>