陽炎

 夏の記憶。  浮かぶのはいつも、儚げな少女の白い姿。  夏休みに訪れたキャンプ場の森で、俺はその少女を見つけた。  名前すら知らない。  声をかけるまもなく、純白のワンピースを身につけた少女は俺の目の前から静かに消えた。  虚ろで寂しげな瞳。  それだけが、やけに瞼の裏に焼き付いている。  それは、世界の全てを映すことを拒んでいるような、光をなくした瞳だった。  でも、俺は、俺だけは彼女の瞳に映りたいと思った。  何故かはわからない。  そうしなければ、何かが終わってしまうような、そんな気がした。  そして、夜、俺は再びその森へと足を運んでいた。  そこへ行けばもう一度少女と会えると思ったから。  やはり、少女はそこにいた。  昼間見た姿そのままに。  一際大きな木の幹にその身体を預けるように座って。  けれど一つだけ違っていたのは、閉じられた少女の瞳が、もう永遠に開くことはないということだ。  俺はゆっくりと少女に近づく。  白いワンピースがやけに眩しく見えた。  俺は、少女の亡骸を間近で見ても恐ろしくも、悲しくもならなかった。  外傷はどこにもない。  異臭などしない。  ともすれば、ただ眠っているだけなのではないかと錯覚も覚える。  寝息すら聞こえてきそうなほどに。  だが、俺にははっきりと分かっていた。  その口から吐息がもれることがないこと。  その瞳が二度と光を宿すことがないことを。  俺は、じっとその少女の姿を見つめていた。  何故だか、その身体に触れることだけはためらわれた。  触れれば壊れてしまいそうなほど、命の輝きを失っても、少女の姿は儚げだった。  俺は少女の隣に腰をおろして空を見上げた。  何も見えない。  こういうときは、月の光でさえも心を癒してくれるというのに。  ならばと、目を閉じて昼間見た少女の姿を思い出す。  白いワンピース、虚ろな目、今にも世界に溶けそうなその姿。  そこまで思い描き、俺ははっとなる。  昼間見た少女は確かに動いていた。  しかし、何故だろう、隣で横たわる少女のほうが「生きている」ような気がするのは。  俺は意を決して、少女に向かって手を伸ばした。  けれど、その手は空を掴む。  驚いて隣を見ると、少女の姿はどこにもなかった。  そう。  まだ終わってなどいなかった。  俺は少女を救わねばならない。  少女が何者なのかなんてことはどうでもいい。  ただ、あの少女にあんな瞳は似合わない。  笑顔を浮かべた少女に、微笑を返してやりたい。  たったそれだけの、ちっぽけな理由。それでいて、熱く深い願い。  あの少女は、揺らめく夏に出会った、まぼろしなのかもしれない。  けれど、俺はその置き去りにしたまぼろしを探して、今もさまよい続けている。
<終幕>