Tear Drop

 カランカラン……  静かに扉を開けて入ってくる男。  深く着込んだ茶色のコートをふるふると震わせている。  かすかに、肩の辺りが白を混ぜている。  どうやら、外は雪のようだ。  何も言わずにカウンターに座る。  見るからに無愛想なマスターはそちらを一瞥するだけで、何も言わない。  店にいるのは、その男とマスターの二人だけ。  マスターがカクテルをシェイクする音だけが、その場に響く。  コト……  静かな音を立て、男の前にカクテルが置かれる。  白のような、黄色のような、曖昧な色のカクテル。  もちろん名前はわからない。  もしかしたら、マスターのオリジナルかもしれない。  男も、何も言わずにそれに口を付ける。  酸味の効いた、それでいてほのかに甘い味が口に広がった。  それはまるで、涙の味だった。  「Tear Drop」  男はそうとだけ呟くと、コインを一枚、そのカクテルに落とす。  すると、どういうわけか、カクテルはそのコインに吸い込まれるようになくなってしまった。  男はその様子を見ることなく、静かに店を後にした。  後に残されたのは無愛想なマスター一人。  マスターはコインを掴むと、右手の親指で上へ弾き、  「Good Luck」  とだけ呟いた。  「こうやって出来たカクテルが“スクリュードライバー”ってわけさ」  HAHAHAと僕はアメリカ人風に笑う。  「をい!その話のどこがどうやったら“スクリュードライバー”の由来になるんだよ。そもそも“スクリュードライバー”っての はウォッカベースにオレンジジュースを混ぜたカクテルのことだろ?色だって無茶苦茶オレンジじゃねーか」  葛西が目の前のオレンジ色のカクテルを指差して言う。  「ちなみに、“スクリュードライバー”っていうのはネジ回しのこと。本当の由来は、イランの油田で働いてたアメリカ人が暑さ をしのぐために作業着にぶら下がってたドライバーを使ってオレンジジュースとウォッカをステアしたことから名づけられたと言わ れてるんだよ」  檜は一人、つぶつぶオレンジをちびちび飲んでいる。  「ったく、裕樹よぉ。お前はどうしていっつも間違った知識をひけらかすんだ?」  ここは僕、坂出裕樹の部屋。  部屋には二人の友人、葛西修と檜健一が居て、なんとなく酒盛りをしていた。  「なんでかって?そりゃ思いついたからだよ」  「“スクリュードライバー”からあんな話を思いつくなんて、相変わらず坂出君は謎の思考の持ち主だね」  「この間なんてもっと酷かったぜ?“カシスオレンジ”の由来が中国四千年の歴史になってたからな」  「………それは想像を絶するね………」  「ま、美味けりゃなんでもいいじゃん」  僕はどうにも酔うと饒舌になるようだ。  しかも、その時飲んでいる酒、特にカクテルについては見当違いの薀蓄を語りだすらしい。  さらに悪いことに、酔いがさめるとその時語った薀蓄を全く覚えていないのだ。  逆に、それを聞く事の多い葛西と檜はその事をよく覚えていて、素面の時にはよくからかわれるものだ。  「まあな。お前の謎の薀蓄も意外とおもしれーしな」  「毎回薀蓄が違うのもある意味才能だよね」  「うっさいなー。もうちょっと静かに飲もうや」  「お前が一番うるさいんだっつーの!」  そんな感じで、僕らはいつも集まっては飲んでいる。  飲む度に謎の薀蓄を語る僕。  酒豪の葛西。  酒は全く飲めないのに、酒全般に関する知識は豊富な檜。  集まる場所は決まって僕の部屋。  理由は……………覚えてない。  「うし、じゃあ次の酒行くぞ」  「お、日本酒か。いいねぇ」  飲む酒も和洋折衷なら、つまみも和洋折衷。  いや、つまみについては世界各国津々浦々感が漂っている。  「じゃあ僕はつぶつぶグレープにしようっと」  「いやまて、そんなジュースあるのか?いや、あったとしてもちゃんと飲めるのか?」  そんな会話を繰り返しつつ、宴は朝まで続く。  朝起きて、時計を見ると、二限の講義が終わっているというのも日常だ。  檜は大丈夫だろうが、俺と葛西の単位はギリギリなので、こんなことが出来るのも今年一杯までだろう。  だから、それまでは精一杯この時間を楽しもうと思う。  友と酒を交わし、朝まで語る。  この時間こそ至福の時。  「そもそもこの“モスコミュール”というのは…」  「もういいっつーの!」  かけがえのない時間に乾杯。
<終幕>